坂口恭平。そして体への語りかけ。

・昨日送別会&忘年会の久しぶりの飲み会で少し飲み過ぎてしまい、今朝は頭痛もしたし起きるのがいささか辛かった。朝ごはんを食べることなく電車で娘を保育園まで送り届け、しんどさを感じながらも保育園から家まで歩いて帰ったところ(今日は在宅勤務だった)、家に着く頃にはほとんどしんどさを感じないサッパリした状態に変わっていた。若干の二日酔いの状態であれば、少し歩けば治るのか。ウォーキングの力強し!しんどいときは横になる前に(動ける状態であれば)少し動いてみるといいかもしれない。

・今日は坂口恭平さんと末井昭さんのトークショー。坂口恭平さんのイベントにはできる限り参加したいと思っていて、毎回受け身に(質問などで発言したり写真を撮ったりすることもなく)その場にいるだけだが、その場にいるだけで気持ちがポジティブになっていく。いかに現実に、そして既存の言葉にとらわれているか、そのことはわかっているつもりだが、坂口恭平さんに会うといつも実感する。

今回もっとも印象に残ったのは、心臓を休めるために横になる時間を作っているということだった。ただ横になり、心臓に意識を向け、語りかける。これはたぶんヨガの先生に言うとすごく共感する話だろうなぁと思いながら聞いていた。ギックリ腰だって、心臓を休めたら治るとも言っていた。普段意識をしないところに語りかける。心臓のことを普段意識することはない。だが、意識をすると鼓動は聞こえ、心臓が動いていることがわかる。それ以外にも、呼吸のときに吸うことよりも吐くことに意識を向ける。

ヨガだ。普段ヨガで学んでいることを、坂口恭平は自分の体からの語りかけるなのか自ら気づいて、そしてその語りかけに答え、今度は自分から心臓に語りかけている。つくづく気づき、行動の人だと思う。

家路につく間、ヨガをすることについて考えた。ヨガをすることも瞑想をすることも、やった後にはどちらもすごく気持ちがいいが、する前はすごく面倒くさいし、億劫だ。それにヨガをしている間も、たまに誰からかはわからないが、やらされているのではないか、なんのためにやっているのか、本当はヨガをするのに目的なんかいらないはずなのに考えてしまう。


たぶん「Do Yoga」なのが引っかかりの原因なんだろう。「ヨガをする」ではなくて、「ヨガをする状態になる」と思った方がいいのかもしれない。Be Yoggy。その状態になる。何かの目的のためにヨガを「する」のではなくて、物を食べたら消化されて便として出てくるみたいに、呼吸をして呼吸を深めて、呼吸と一緒に体が動いて、ヨガをする状態になる。能動的にヨガをするのでもなく、受け身に流された結果ヨガをする(これもよくわからない変な言い方だが)のでもなく、ただ徐々にヨガをする状態に移行してそして「なる」。いつのまにかなっている。体からの語りかけに対して少しずつ意識を向け、意識が向いた完全に向いたときの状態がヨガをしているときの状態ということ。

トークショーを終え、ただ何となく考えたことだが、自分にとっては大事なことのように思うので、今日の坂口恭平さんと末井昭さんのギフトとしてここに記しておく。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?