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ヒストリー⑫始まりの日・2005年2月

強力タッグの誕生


 参議院から、しかも野党から提案された議員立法が通ることは極めて稀です。このため自殺対策の研究を終えていた参議院議員の山本孝史さんは、じっと好機を伺っていました。与野党に対立気運が強まる選挙前は避け、風向きが変わる時を待っていたのです。

2004年7月、山本さんが参議院幹事長として臨んだ参院選で、民主党は大勝しました。山本さんは翌8月、厚生労働委員会筆頭理事に就任します。そして11月、民主党内に「自殺総合対策ワーキングチーム」を立ち上げ、自らが座長になったのでした。

 2005年2月、自民党の参院厚生労働委員会筆頭理事の武見敬三さんから「衆議院予算委員会の開会中、参議院は開店休業状態だ。何かやろう」と持ち掛けられました。

まさに、渡りに船の提案でした。

山本さんは、即答します。「自殺問題を取り上げましょう」。

武見さんは、その後も、自殺対策のよき理解者として、強力な援軍になっていきます。

 止まっていたかに見えた時計が一気に動き始めました。
2月20日、ライフリンクが第1回「自殺対策“緊急”シンポジウム」を開きます。「自死遺族支援に向けて、遺族会のつながりを!」をテーマにしました。ここに山本さんの秘書、東加奈子さんが出席し、ついに山本さんとライフリンクの清水康之代表がつながりました。

2月24日には参議院厚生労働委員会で自殺問題についての参考人質疑が行われることになりました。東さんが清水代表に出席を打診するメールを出すと、清水代表はすぐに返信しました。「ぜひ傍聴したいです。どんな服装でいけばいいのでしょう」

清水代表も傍聴した参考人質疑の後、2人は意気投合し、力を合わせて自殺対策を進めることを誓い合います。
山本さんは法制化に向けて国会内の超党派議員をまとめることに傾注する。清水代表は国会の外から法制化に向けた動きを後押しできるよう社会に訴えていく。そう役割分担を決めました。 
                                                      =続く 次回は、⑬2005年5月編「心揺さぶるシンポ、大臣動かす」です。


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