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ランドマークとは何か

久しぶりに西新宿に足を運びました。
転職した1997年から2003年まで、「住友三角ビル」に通っていました。
当時の自宅が代々木公園の近くで、職住隣接ということも手伝って週末も出社することが多く、私にとって西新宿の高層ビルは生活の一部でした。

「新宿副都心」。
今ではそんな呼び名も忘れられたかのように、聞くことがなくなりました。
東京都庁舎が丸の内からここに移転したのは1991年ですが、おひざ元が副都心というのもイメージに合わなくなったからかもしれません。
三角ビルそのものは何ら変わらずそこにありますが、階下のパブリックスペースが「三角広場」という囲われたエリアになり、イベントが行われていました。
この建設工事の最中は、一度も訪れることがなかったので、ちょっとした浦島太郎気分です。

住友三角ビル


旧淀橋浄水場を移転させて構想された新宿副都心。
何もなかった場所に、超高層ビルが次々と建設される様子は、高度経済成長・ニッポンのひとつのシンボルだったように思います。
街は変わらずそこにありますが、昼すぎであったせいか、それとも新型コロナの影響か、人気は少なく、他の再開発エリアと同様、ここにもいずれ立て替えの波がやってくるのだと思います。

西新宿を離れて20年弱。
新宿西口の再開発が進む中、スバルビルは取り壊され、地下道に「新宿の目」を残すだけになっていました。
小田急百貨店のある場所には、48階建ての高層ビル建設が予定されていると聞きます。


少子高齢化の中でも続々と建設されるオフィスと商業ビルのコンプレックス。新型コロナでオフィスのあり方が変わりつつある中、「なぜか」建設は続きます。
数日前に、再開発が決まったという東京海上日動ビルの前を通りがかり、東京の風景はこれからどうなっていくのかと考えましたが、西新宿でも同じ思いにかられました。
後に残るのが、ピカピカ(ただし竣工からのわずかな時間だけ)の巨大エリアと、そこから取り残された周辺の廃墟にならないことを祈りたい。

東京海上日動ビル


このところ、SDGsの「誰一人取り残さない」という理念と、ひと握りの企業や人だけが恩恵を被りそうな「イマドキ」流行のテーマとの齟齬が気になって仕方ありません。
自分の中でピースがつながらないだけでなく、そこに分断が生まれている気がするからです。この話はまたいずれ。

街の目印として、デザインに強烈な個性があったり、巨大・高層なビルのことをランドマーク呼ぶのかもしれません。でも、ピカピカを、ヌメ皮のように味のある色に変えていくのは、そこで働き、暮らす人間であり、私は、ランドマークというのは、ビルの名称や再開発プランの名前ではなくて、人々を惹きつけ続け、時間を経て歴史が作られた時に、ビルや街区に与えられる勲章のことだと思うのです。

#ランドマーク #再開発 #誰一人取り残さない #SDGs

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