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…はお客様という話

時間ができたのでnoteに慣れたく連投。

頭で思ったことをテキストに書くことは慣れないと難しい。
ですます調がいいのか、である調がいいのかまずそこで悩む。
誰に向けてか、自分に向けてか。これにも慣れないといけない。
プライベートな話題を喋る場合はどちらも使わない。
もちろん、これがビジネスを目的とした場合ならば別だが、、
そんなどうでもいいことを思いながら、結局は、である調になっている。

学校関係者と話す機会がある。
どこも(と言っても過言ではないと思うが)、同じことを口する。

「生徒(学生)はお客様」という言葉。
「お客様だから怒ってはいけない」
「お客様だから何を言われても気にしてはいけない」
「余計なことすると生徒が親に言って大変なことになる」
そして、
「今の子たちは言葉づかいも何も知らない、だけど私たちは雇われている身だから我慢しないといけない」と。

身近でも2つのケースを耳にした。

ひとつは、非常勤だが専門分野を教えるのに熱心な先生がいた。
学校での教えも5年くらい経っていた。
ある日の授業で、ひとりの生徒がおかしな態度で授業を受けていたという。
そこでその先生は「今のままではダメだよ」と軽く注意をしたという。
これが後日、親からの抗議で大問題となって、その先生はいなくなった。

ふたつめは常勤の先生、これは完全アウトな話だが、
お酒が入った中で生徒を叱咤した。
悪い人ではなかったが、卒業に向けた成果発表を終え、気が緩んだのか、そんな時期の出来事だった。無論、前述と同様の流れでいなくなってしまった。

なので「生徒(学生)はお客様だから」と
学校が、関連企業が、職員や社員に言い聞かせるのもわからなくはない。ひとつ間違えたら大変だから。

一方、若い人たちの考えは?と言えば「ゆるい環境」より「厳しい環境」を望むといった声もあるという。

とはいえ、大人としてはイタイ目にはあいたくはない、何をどこまでは悩むところかもしれない。会社が採用する相手の親に向けた保護者説明会を開いたり、採用面接官の査定をする流れが起きたり、それが良いとか悪いとかでなく、これまでの歪みから生じ、圧倒的に恐ろしく一瞬で崩壊する力を持った同調圧力の風が今の事態を招いている。

先ごろ、アカデミー賞で高い評価を受けた「ゴジラ-1.0」は35人という職人が手がけたVFXという映像が話題になった。「わずか35人の少数精鋭で」と取り沙汰されているが才能格差はどんどん広がっていく気がする。取り残される人が増えていくという危惧も感じる。

やることを掴んだ人は、どんどん先に向かい試行錯誤を繰り返し経験を積んでいくだろう。まだ掴みきれていない人も自分で見つけられる人が多いはず。その中で学校という箱を選択したならば、そこで何を吸収するか。最初に選んだ会社でなにを吸収するかだと思ってしまう。

また自分たち大人も「生徒はお客様だから、最近の若い子は・・」なんて言っている奴ほど、なんだかな、と思う。間違ってはいない、間違ってはいないが、、と。

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