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さて、前回は(とはいえ、かなり時間が経ちましてすいません!)
Aさんが、Bさんと子どもの卒園式でトラブルがありとてもショックを受けたというところまででした。


そして、その後です。


Aさんは、家に帰ってから猛烈に怒りが湧いてきました。

「この一年!Bさんの子どもはいつもウチに遊びにきて、おやつもやって、おもちゃも貸していたのに!!なんなの、この仕打ち~」

代々、暗黙の了解でお互いの家を子どもは行き来するらしいのですが、
Bさんは「お願いね」とAさんの家に子どもを来させることが多かったそう。

Aさんも、子ども同士が仲良くなるならばと、
「いいですよ」
と遊びに来てもらっていたそうです。

ですが、こういうことになると別!
あれも、あげた。これもしてあげた。

それが、ただ
「卒園式に一緒にいけない」だけで、この仕打ち?!!

腹が立って、腹が立って仕方がない。
おまけに、お人よしの自分にも腹が立ってきました。


そして、そして翌日、Aさんは、突然味噌汁が作れなくなりました。
やり方は分かっているのです。
でも、その手順通りにすることが、できない。
出汁をとって、具と入れて、煮て、
味噌を入れて、盛り付ける。


そこまでが、とてもとても長い道のりに思えてしまう。

「あっ、頭がオーバーヒートした!」


と思ったそうです。
お味噌汁以外のご飯や家事、全てがそんな風でした。
そして結局、子どもを連れて実家に戻りました。
理由を実母に言って、気持ちが少しは楽になりました。

それ以上に、いつも厳しい父親が
「いつまででも、ここにいればいい。無理することはない。」
と言ってくれたのが、救いだったそうです。

そしてAさんは、泣きました。
子どもも、親同士も楽しかった一年が虚しく感じて
幼稚園時代自体が、ウソ物語のように思えて哀しくてたまりませんでした。

心も落ち着き家に戻り、1週間ほどたったとき、こう思ったそうです。

「Bさんはどういう気持ちなのだろう?」

一緒に卒園式に行けない、という「ちょっとしたこと」でそこまで怒りを募らせるBさん。
(その後、電話をかけても、一切Bさんには繋がらないそう)

Bさんの心も怒涛のごとく荒れているではないか。
「もしかしたら、心が揺れるのは、私もBさんも一緒ではないか。
それを、私は悲しかったり、情けないと思う表現をする。
Bさんは、ただ怒りで表す。
その違いだけではないのだろうか。」

それ以上に、「一緒に行けない」という一言で、
そこまで「傷つく」(とBさんは思っていないでしょうが)Bさんは、砂漠の水のように、愛情を希求しているのだろう。
それが欠如した(と思う)発言や行動があると、怒り狂ってしまう。
あたかも餓死するかのごとく。

Bさんは、とても苦しいだろう。
Bさんは、もっと寂しいのだろう。私よりも・・・。

そう思うと、気持ちが楽になり、もういいやと「赦せる」気持ちになったそうです。

感情の根っこは同じでも、出す表現方法が違うだけ。

感情は厄介です。

突発的に、価値観を通り過ぎて表現してしまう。
だからこそ、一旦落ち着いて、深呼吸をして
何が怒る要因か、その奥にはどういう「愛情」を欲しているのか。
ちゃんと自分で把握する筋トレが大切です。
無用な混乱と、痛みを自分と周囲にもたらしてしまいます。

Aさんの笑顔も戻り、Aさんの子どもも沢山の友達ができて、楽しい小学校生活を送ったそうです。

さて、後日談。


ご近所の信頼できる人に、数か月後その話をした時、
「まあ!!かわいそうに~~。
Bさんって、本当にトラブルメーカーよ。
あの人に泣かされた人、沢山いるのよ。
もっと、早く話してくれればよかったのに~~」

「信頼できる人を、ちゃんと見つけるのも大切」
と、Aさんはまた学んだそうです。


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