《論説アーカイブ+》 東日本大震災 消えない悲嘆  サバイバーズギルトや「あいまいな喪失」へのケア

自己紹介したように、様々な「苦」の現場での寄り添いについて、ぼちぼち投稿します。多くは、メディアに掲載された「論説」に少し加筆したもの。掲載時期はやや以前のもありますが、指摘する問題点は現在進行中のことばかりです。
まずは予告通りに東日本大震災について(今春のものの再録なので注意)。
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 東日本大震災の発生から今年で12年。夥しい犠牲者にとって仏教的な供養の上では十三回忌という区切りでもあり、各地で法要などが予定されている。中でも死者数が多い被災地では、各寺で個別の檀家の回忌法要が既に始まっている。
 
 数百人もの犠牲者が出た岩手県釜石市を例に取れば、特に被害が甚大だった鵜住居地区にある曹洞宗寺院では昨年11月から各檀家の回忌法要が入り、住職は連日駆けまわって遺族に接し続けている。市内の各寺々も12月には法要が始まり、年明けを挟んで供養の日々が継続している。
 
 人々の悲嘆は12年を経ても完全に癒えることはない。鵜住居地区で当時、消防団長として出動中だった高齢の男性は留守宅にいた妻、息子夫婦、孫娘の家族4人全員が津波に流され亡くなった。菩提寺で懇ろに供養し続け、何とか再建した自宅には家族それぞれの部屋を設けている。
 
 言わば「死者の家」で、唯一の遺品である孫娘のランドセルを供えた仏壇にも毎日合掌しているが、毎年3月11日が近づくと気持ちが穏やかではなくなるという。「自分も死ねば良かった」と思う日もあると打ち明ける。「自分だけ生き残ってしまった」という自責の念、サバイバーズギルトは、年月を経ても簡単に減じるものではない。
 
 そして、遺体が見つからず行方不明のままなら苦悩はなおさらだ。今なお家族の元に帰らない犠牲者は各地で計2523人(昨年3月時点)にも上る。死者数が最大だった宮城県石巻市では、今も不明の娘の遺骨を探し続ける親たちがいる。県内沿岸部では潜水免許をとって海でわが子を捜索する父親がおり、原発事故による強制避難で遭難者に救助の手が差し伸べられなかった福島県でも同様だ。
 
 肉親に別れを告げられず、葬儀も遺体がないまま行わざるを得なかった遺族たちは、「死んだ実感がない」と口にする。グリーフケアへの対応の中で「あいまいな喪失」と呼ばれるこのような状態は、いわば「さよならのない別れ」だ。確実な死への向き合いに比べて悲嘆がより強く複雑な場合が多いという。
 
 猛威を振るうコロナ禍でも、近しい人が患者となったのに看病も面会さえもできず、死去しても葬儀も満足にできなかった遺族らは同様に「さよならのない別れ」に直面させられた。「あいまいな喪失」についての深い研究がある黒川雅代子・龍谷大教授は、感染拡大防止で様々なことが制限され普段の生活が立ち行かなくなるという状態自体も、「あいまいな喪失」と位置付ける。
 
 問題は、そのような悲嘆を生んだ災厄が“風化”にさらされ、置き去りにされた遺族らが孤立させられることだ。震災体験は年を追うごとに語られなくなり、コロナ禍も、沈静化の兆しが見えたり社会経済維持のために「普通の病気」と位置付けられたりすることで、世間ではまるで「なかったこと」のようになってしまう恐れがある。それに抗い、死者を弔い、悼み、その思いを語り継ぐことで遺族にも寄り添うことが宗教者にとって大事な責務だ。
(写真は4点とも今年3月11日、岩手県)
 
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遺族の悲嘆は12年経っても消えない
慰霊施設での祈り
釜石の寺院での十三回忌法要
僧侶や学生、ボランティアによる竹灯籠

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