22.09.10- 納豆巻き

2022.09.10
学生時代に交流のあった他大学の友人に誘われて、当時仲の良かったメンバーと酒を飲む機会があった。久しぶりの再会を喜びながら飲んでいるうちに、一人から「ゲイじゃないよね?」というよくある質問が飛んできた。普段だったらすぐに否定するところだが、だいぶ酔っていることも相まって、今日の自分はあえて明確な否定をしなかった。隠さなければならない理由もないし、否定しないとどうなるのかという興味もあった。

ただ、否定をしないと疑念は深まる。のらりくらりと核心的な質問を交わしていたつもりが「おまえゲイだろ!」という半バレ的な状況に追い込まれてしまった。この時点であまり記憶はないのだが、僕がゲイだと勘づいたその友達は、僕をあからさまに遠ざける態度を取っていた覚えがある。

翌朝、目が覚めて一番に思ったのは、ゲイかと問われた時点で、明確に否定すればよかったということだ。しらふだったらそうしていたのは間違いない。「やらかした」と思った。ただ、二日酔いの頭が理性を取り戻していくにつれ、酔って理性を無くした自分の反応こそが、正解だった気がしてきた。

事実、自分はゲイなのだから嘘をつかねばならない理由はない。そして「ゲイなのか?」という質問をしてくるときに相手の中に「僕が実際にゲイである」という回答の想定がなかったこと、もし本当にそうだった時に、相手がどんな気持ちになるのかという想像力が足りなかったことにこそ、問題があるのだと思ったのだ。たぶん、彼にはゲイに対する嫌悪感がある。それはゲイという存在に対する無知、理解の不足に由来するものと思われる。彼の示した拒否反応は、自分が性的な存在として搾取されてしまうことと、自分が理解できない他者への恐れから来ているようだった。

学生時代にある程度仲の良かった友人から拒否反応を示されるのは、多少なりともショックだった。そして、今、ゲイというものへの理解がだいぶ進んでいると考えていたけれど、世の中には彼のような気持ちになる人も、実はまだ多いんじゃないかと思う。前提知識がない状態のところに、いきなりカミングアウトして全て理解してもらうというのは想像以上に難しい。知り合いに何の躊躇もなくカミングアウトができるようにするために、何をすべきなのだろうか。とりあえず、そんな日が来るのはもう少し先になりそうだ。

2022.09.18
抽象的な事象について議論を通して理解を深める過程がとても好きだ。ただ、世の中にはそういった話を好む人と好まない人がいる。だからこそ、その場で自然と議論が始まるような空間は心地よい。

今日、数人でご飯を食べている時にも話し合いが生まれた。自分は話しながら思考を組み立てるのがあまり得意ではないが、何度か発言しようかなと思うタイミングがあった。ただ、今日は自分が発言しようと思ったまさにその事を、より解像度の高い言葉や、一段上のレベルで的確に発言される方がいた。

そんなタイミングが三回くらいあって、自分の頭の中の抽象的な思考が具体化される気持ちよさと、そうして言葉にできることへの尊敬の念で一人静かに高揚していた。大森靖子の曲、マジックミラーの「この歌私のこと歌ってる。気持ちいい。」みたいな感覚。もっとお話ししてみたいと思うと同時に、自分はその人に何を与えられるだろうと思い躊躇う。与えてくれる人に対して、自分は何を返せるのだろうか。胸を張って居直れるような何かが欲しい。

2022.09.19
家でご飯を炊いて納豆と一緒に食べる時。そこに大根おろしと魚なんかあったりする時。そのあまりの美味しさに身悶える。本当に好きなのに、普段は食べないのは手間がかかるからだ。その先にある幸せよりも目の前にある快楽に溺れてしまう「豚」なのだ。

そういえば、性欲と食欲はなかなか同居しない。SMプレイにおける豚は概念としての豚であり、女王様が「トンカツにしてやろうか」と言ったとしたら、途端にお笑いになってしまう。

「笑い」も性欲とは別のところにある気がする。性のことで頭がいっぱいの時に面白いことは言わない。SEXの前に笑い合うことはあるが、面白くなくていつも乾いている。牛のように豚のようにするSEX。知性がなくなった時には面白い話はできない。

ただ、そんな豚でも手軽に納豆を食べる術がある。コンビニの「納豆巻き」である。家で納豆を食べると、どうしてもそのベタつきが気になる。食後の洗い物のことや、納豆パックの処理のことが頭にチラついてしまう。「納豆巻き」はそんな不安を解消し、家でしか食べられなかった納豆ご飯を、もはや歩きながらでも食べられる、カロリーメイト、ランチパックにならぶ携帯食にしてしまったのだ。

納豆巻きは寿司屋に並んでいるうちは、敷居の高い食べ物だったと思う。家で作るのも同様。これをコンビニで販売してしまうところに、革命がある。納豆巻きのような革命的な食べ物って他にもあるだろうか。この革命的な素晴らしさに気づいたら、人生はもっと楽しくなる気がする。

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