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ポステコグルーがなぜ理解されないのか?〜フットボールにおける非言語領域について〜

 最近、某YouTuberがスパーズに対して言ってはいけないことを言ってしまい炎上する様を見てから、熱が出ていたことも相まって色々考えてしまいました。ポステコグルーのフットボールはロマン派と言われることが増え、直近のニューキャッスル戦での不甲斐ない戦いから早くも(早すぎるだろ)ポステコグルー限界説がX上で出回っています。
 しかし、個人的にはポステコグルーの目指すフットボールをファン側が理解していないなと思う場面が多くあります。まぁ、確かにポステコグルーのフットボールはかなり異質(選手の並びとかプレー原則とか以前の問題として)であり、理解しづらいものだと思います。そこで今回はポステコグルー・フットボールの理解しづらい部分について簡単にまとめていこうと思います。かなり観念的な内容のため、伝わるかどうかはわかりませんが、これも1つのチャレンジということで…。

 まず世の中には言語領域と非言語領域があります。言語領域とは人間が言語化できる領域のことです。最近はビジネスでもフットボールでも"言語化する"ということに非常に重きが置かれています。フットボールでは言語化され再現性を高めたスタイルが持て囃されています。この言語領域でのフットボールの代表格はポゼハゲことグアルディオラやボトルジョブ界の貴公子(またの名をアルテタチョーク)ことアルテタなどですね。個人的には言語領域でのフットボールはあまり好きではありません。なぜならこの領域のフットボールは局面で正解とされるプレーを選択をできる選手が重用されるからです。つまり正解を出せる選手達を集め、誰が出ても同じフットボールをすることが求められます。だからお隣ではアルテタの言うことを聞く若手のみを残し、扱いづらいベテラン勢をどんどん追い出していったわけです。このような言語領域のフットボールではグティ(ちょっと古い…?)やデレのような選手はアウトなのです。グティのパスって言語化して再現性のある形にすることってできないですよね?デレのプレーをデレに言語化してみろと言ったところで無理だよと言われるのは目に見えています。では、グティのあの変態的なパスは正解ではないのでしょうか?デレのパレス戦でのあのプレーは?そもそもフットボールの局面で正解は1つだけなのでしょうか?そんな疑問が私の頭を巡ります。
 一方、非言語領域とは身体知の領域のことを指します。身体知とは言語化・数量化できない身体の作動の総称を意味しています。フットボールのみならず、我々は我々という人間について全てを理解して言語というツールを使って説明できているでしょうか?まず無理ですね。ポステコグルーはフットボールにおいてその領域を許容しており、むしろそこに重きを置いているように感じます。ポステコグルーは過去にこのような発言をしています。

現代のコーチングは、選手に何をすべきかを教えることではありません。本当に成功したいのなら、選手たちに信じさせて、選手たち自身が決断できるようにしなければなりません。

私は細かい管理はしません。私はスタッフの上に立って彼らの行動を監視しているわけではありません。選手やコーチには、仕事やプレーをする決断をしてもらいたいんです。人々に何をすべきかを伝えるのはとても簡単で、ほとんどの場合、彼らはそれを実行してくれます。しかし、誰かに何かを信じてもらい、そのように決意してもらうことができれば、本当に強力なんです。

https://spurs.sc/archives/2023/11/every-word-ange-postecoglou-said-4

 これを読む限り、ポステコグルーはポステコグルーの目指すアタッキング・フットボールを本当に信じていれば、選手達は局面において最適なプレーを選択できると言っています。その"最適な"プレーは選手個人が選択したものであり、常にどれが正解であるということはありません。これは言語化できないその場の閃きに重点を置いています。ポステコグルーはこの言語化できない選手個人の選択を導き出そうとしているのです。これによる選択が積み重なった上に成り立つのが非言語領域のフットボールです。
 では次にこの非言語領域のフットボールを引き出すためのトリガーはなんなのかという問題があります。ポステコグルーはここで仏教的なアプローチを取っています。それは私がよく言う"信"です。先ほど引用したポステコグルーの発言にも「選手たちに信じさせて」という内容がありました。言語化できないものをいくら説明しようとしても無意味です。それが実体として存在するかどうかを確かめるためには、身体活動を通じて体験するしかないのです。しかし人間は究極的な場面でそれを実行できるかどうかはそれが実体としてあると信じているかどうかが非常に重要なファクターとなります。またその"信"は体験を通して確信に繋がっていくのです。このように非言語化領域は体験してみないとわからないし、人間はひとまず信じないと行動に移させないので、まず信じることが大切という話です。
 最後は非常に捉えどころのない話になっていましたが、私が理解するところのポステコグルーのフットボールはこのようにかなり変わった考えに基づいて行われていると思います。ここを理解していないと最初に話したポステコグルーはロマン派といった誤った認識に陥ってしまいます。以上の話を踏まえると、私の認識はポステコグルーはロマン派というより、哲学派といったイメージです。
 以上です。伝わったかどうかはわかりませんが、そんなところですかね。とりあえずNLDは勝てば良し!とりあえず勝ってくれ!ウドジェもいないし、ポロも怪しいけど、試合延期なんてださいことはしないので、勝ってくれ!COYS!

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