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何者でもない僕らは筆を執る

記事を書いてみたいけど、全く実績がないのに書いても誰も見てくれないし意味がない。
そんなことを考えている方に向けて、まったく実績がないくせに記事を書いている私が何を思って記事を書いているかを解説します。記事を書きたくても勇気が出ない人の背中を押せれば幸いです。

一般TCG理論なのかも怪しいのですが、一応一般TCG理論のなかで議論になっていたのでタグ付けしておきます。

1. 僕らは謙遜しない

私自身記事を書くまでは、自分よりも上手い人があふれているのに自分が発言することに意味がないと考えていました。
さらには自分が考えている程度のことは皆知っていることだとすら思っていました。

しかし上が溢れているということはそれ以上に横も下も溢れています。そしてその多くの人は自分とは別のプレイスタイルで戦っている人が大半となるため、自分にとっては当たり前のことも多くの人にとっては興味深い内容になり得ます。
そもそも、本当にみんなが知っていることしか知らないのであれば勝率は50%をはるかに下回るでしょう。多くの人が、みんなが知っている知識+限られた人が持っている知識の組み合わせで戦っているなかでみんなが知っている知識しか知らないのですから、負け越してしまうことは想像に難くありません。

自分が知っていることを皆は知らないし、皆が知っていることを自分は知らないという当たり前の事実をまずは理解しましょう。

これを理解した上で謙遜をやめてみれば、きっと自分が他人より優れている点が見えてくるはずです。
私で言えばそれがデッキ構築でした。
もちろん自分よりもすごい人は数えきれないほど大勢いますが、それでも偏差値は55〜60近くはあるだろうと考えています。偏差値60だと思えば平均的な学校のクラスの子の大体には勉強が教えられることになるので多くの人に楽しんでもらえるはずです。

謙遜しているうちは自分の得意分野は見えてこないですし、何より自分と同等のレベルで頑張っている人たちに対して失礼です。自分を下げることは自分と同等もしくはそれ以下の人たちを全て下げる行為ですので、得意なことは得意だと自信をもって言いましょう。たとえ自分より上手い人が何人いようとも。

2. 僕らは巨人の肩に乗る

とはいっても記事を書くには勇気がいります。独りよがりな持論を展開しても意味がないですし、間違ったことを言っていたらどうしようという不安もあります。

そんなときには、過去の他人の記事や広く知られている一般論や定理を利用しましょう。そうすることで、「これは自分が勝手に言っているわけではない」という免罪符を得ることができます。
例えば、「Aという考え方に基づけばBといえる」という伝え方ですね。
この話し方はAが真であるかどうかを議論せず、真であることを仮定して話を進めることができます。
「仮定」は自分では取り扱えない難しい課題を自分で取り扱えるレベルに落とし込むテクニックです。課題の方を自分のレベルに落としてしまうことで難しい課題の記事も書けるようになります。
さらにその仮定が世に広く知られる考え方であれば持論の信頼度は増していきます。

かっこよく言いましたが、「だって〇〇ちゃんも言ってたよ?」っていうことですね。難しいことはよくわからないすごい人の責任にしてしまいましょう。

3. 僕らは「既知」と「未知」を明確にする

2の項目と似ていますが、わからないことはわからないと言ってしまいましょう。
分からないことは決してネガティブなことではありません。
分からないことを解明しようとするからこそその記事は新規性を持ち、面白くなるのです。
とは言っても全部分かりませんでは記事になりません。わかっている部分とわからない部分を明確にして、わからない部分を解明する方法を考えます。それは例えば仮定を置いてみることであったり、グラフや絵を書いてみることであったり、言葉を再定義してみることであったりします。
分かりやすい例でいうと、私はマナカーブの検討で、「デッキが回る」という言葉を「毎ターンマナを使い切る」と再定義しました。マナカーブが何なのかが分かってもデッキが回るとはどういうことかわからなかったからです。

そして、このわからないことを解明する方法が間違っていても問題ではありません。何故なら誰も分かっていないからです。間違っている!という記事が出てくれるなら自分の知識が増えるのでむしろ素晴らしいことです。
「デッキが回る」とはこういうことだ!!という記事、お待ちしております。

これを行えば必然的に「一般的によく知られていること」から一歩踏み込んだあなた独自の記事を書くことになります。それはあなたのオリジナリティになり、あなたの実績に依らず面白く説得力のある記事になるはずです。

4. 僕らは自分に学びのある記事にする

記事の読者を想定するうえで最も身近な存在は自分自身です。
自分自身が勉強になる内容は、それすなわち自分と似たような人にとっても勉強になります。

もしもあなたが凡人で、その他大勢の一人であるならば、あなたと似たようなことで悩んでいる人は沢山いるはずです。世の中の大半の人を凡人と呼ぶのですから。

自分が学んでタメになったこと、自分が知りたいと考えていることは皆も同じように悩んでいます。
冒頭の「自分が知っていることを皆は知らないし、皆が知っていることを自分は知らない」と同じように「自分がわからないことは皆もわかっていない」ことも実は正しいです。矛盾していそうな2つですが、それらが成立するほど人類は数が多いということですね。

そして自分にとって学びを得ようとすれば、おそらく何らかの教訓めいた学びや具体的な手法を得て自分自身が納得するところまで考える必要があります。
それすなわちその記事の結論と呼ぶべきものになるでしょう。もしも何が言いたいのか分からなくなったときは、自分が学んだことを一言で表現するだけで整理できるはずです。

5. 何者でもない僕らは筆を執る

さらに重要なことが一つあります。それはトッププロの発言はよくわからないことが往々にしてあるということです。実際にはその発言の裏には様々な前提が隠れているのですが、彼らにとってはわざわざ発言するまでもないことなのか省略されてしまっており理解に苦しみます。しかし、何者でもない我々は凡人が何がわからないかを理解しており、その分分かりやすく解説できる可能性があります。自分の場所からしか見えていない景色があり、それはどれほど上手い人でも記事にすることはできません。記事にできるのは自分だけであり、だからこそ実績の有無に関係なく記事を書くことは重要なことだと私は考えています。
今まさに書いているこの記事も実績が無い私の立場だからこそ書けるものであり、実績のあるプロプレイヤーには書けないし、仮に書いても響かない記事になっているはずです。

6. さいごに

以上が私が記事を書く時に考えている心構えとテクニックでした。
この記事を読んだあなたが筆を執っていただければ幸いです。

余談ですが今回はタイトルと表紙を凝ってみました。ノーコピーライトガール様のイラストがとても素敵だったのでなんとかオシャレっぽい雰囲気のタイトルを必死で考えました…
今回の発見としてはタイトルと表紙がオシャレだと自分もちょっとテンションが上がるということです。これからもたまにやっていこうかなと思いました。ではでは。

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