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勝新太郎座頭市イラスト・完成

色塗り①マントの色を黄色から青色に。
色塗り②下書きよりもワイルドになる。
完成 一気に描き上げる。
パステルは粉で落ちてしまうのでフェキサチーフで定着。

作業後記

デジタル画にも挑戦しているが、ガネーシャを描いた時も座頭市を描いた時も描くスピードは断然アナログの方が早い。
おそらくアナログはデジタルのように何度も修正出来ないという事が理由では無いかなと思われる。
というのは、デジタルでやっているといくらでも修正出来るので細かいところまでも気になってしまい中々進まない。
アナログの場合思っていたのと違ってくることもあるけど、そのミスを上手く利用して工夫してみると結果的にこれで良かった、失敗して良かったと思う事が殆どなので、失敗しても気にしなくなる。
これはアナログの強み、面白さだと思う。

私的勝新太郎の座頭市論

絶対的な性善説。
正統派時代劇とは逸しているようで実はめちゃ熱い正義の味方。
現在のトレンドとは真逆をいく今世ではアウトローとも言えるかもしれない。
ただ、勧善懲悪の時代劇ヒーローとも一線を画す一匹狼。それでいて、子供や動物から好かれるし、ちょっとドジだったりひょうきんだったり憎めない。
原作は子母沢 寛という時代劇作家さんが書いた小品みたいな感じだったらしいが、これを見事に勝新太郎が自分なりに作り上げてしまった。
彼の美学、天才とも狂気ともいえる演技の凄み。演技というにはあまりにも言葉が足りない。
取ってつけたような盲者の演技、例えば手で当たりを探る感じとか、いかにも目の見える人が目の見えない人のイメージを勝手に作ってトレースしたみたいな、何というかもう見える人なのだ。
だけど、勝新太郎の座頭市は全然違う。
もうメクラなのだ。メクラという言葉はもう使ってはいけないらしいが座頭市の場合はメクラがまさにピッタリ。
まず歩き方。普通だと、杖で探りながらちょっと俯き加減でちょこちょこ歩くのが定番。
勝新太郎の座頭市は、まずガニ股。そして足をつんのめったような感じで足と杖を近づけながら地面を探るように歩く。
耳や匂い、体温で感じる表情や表現も怖いくらいこちらにも五感で感じとっているのが分かるくらいだ。なので肌の匂い、体温や湿度、辺りの匂い、風の音、人の歩く音など本当にリアルにこちらにも伝わってくる。勝新太郎は目で見えるものではなく目に見えないものが見えていた人なのかもしれない。これは聖書にも出てくる有名な福音の箇所でもあるが、金子みすずの「空のお星は目に見えぬ、見えぬけれどもあるんだよ、見えるものでもあるんだよ。」というように、真理のようなものが無意識のうちに理解出来ていたんじゃないかとすら思う。
脳裏によぎったのは、「ガラスの仮面」の北島マヤ。あれを地で行く人だと本気で思った。
1話1話どれをとっても気を抜いてないし、妥協しない。市になってしまっている。
撮影中、殺陣で死者が出たというのも不幸なことではあるが、あの追求したドラマ作りを見れば納得してしまう。
この歳になって(昭和80年代生まれ)またこんなに素晴らしいものに出会えたことに感謝。
そして感動できる自分に感謝。

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