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【閑話休題#37】トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』

こんにちは、三太です。

今回は映画の原作であるこちらの作品を読みます。

映画「ベニスに死す」は吉田修一『作家と一日』というエッセイ集にでてきたものです。
映画も見たのですが、少し分かり切らないところもあり、原作も読んでみたくなりました。
また、作者のトーマス・マンはノーベル文学賞を受賞しており、そういう意味でも興味を持ちました。


あらすじ

作家グスタフ・アッシェンバッハは日々の創作から逃げ出したい気持ちとなり、休暇としてヴェネツィアのリド島に赴きます。
そこでポーランド人家族を見かけ、その中の美少年タッジオに心を奪われます。
タッジオの美しさに魅了されたグスタフはそこからタッジオを追いかける日々を続けます。
創作から逃げていたグスタフはそのタッジオの美しさに感化され、創作への意欲も再び持ち始めます。
しかし、幸福の日々は長く続きません。
ヴェネツィアにはコレラの猛威が迫っていたのです。
一刻も早くこの街を離れた方がいいと言われたグスタフの取る行動とは・・・。

老作家が少年の美に魅了される少年愛の物語。

感想

少年愛の物語ではありますが、性的な対象として見ているというのではなく、本当にその美に魅了されているという感じがありました。
ただし、グスタフがやっていることは途中からストーカーと言ってもいいかもしれません。
それに対して、タッジオも思わせぶりな視線を向けてくるのですが・・・。

ヴィスコンティの映画を見ていたので映像をイメージしながら読めました
ほぼほぼ小説に沿って映画は作られていたんだと感じました。
小説を読んで逆に分かったのは、やはり映画の肝は誰がタッジオを演じるのかだったということです。

タッジオの家族との出会いの場面で、グスタフが次のように考えます。

どのような芸術家の本性にも、美を生み出す不公平を承認し、貴族主義的なえこひいきに共感と敬意を寄せる、度の過ぎた背信的な傾向が備わっているものである

『ヴェネツィアに死す』(p.52)

タッジオには三人の姉妹がいるのですが、その三人はほとんどおしゃれをすることなく、母親の支配下にあるような描写がされます。
逆にタッジオは自由奔放に育てられている感じで描かれ、少し親からのえこひいき感もあり、上のような記述が出てきます。
この姉妹が支配されているという感じは、映画だけではわかっていなかったので、(地味な服装だとは思いましたが・・・)小説を読んでより理解できた気がします。

より理解できたことをもう一つ挙げるなら、グスタフのアンチエイジング、メーキャップです。
タッジオの美に自分も近づきたいという思いから、物語の終盤に行われます。
映画でもこのシーンがあり、「なんで顔を白塗りするんだ」とか思っていたのですが、理解が深まりました。

ギリシャ神話などの引用と暗示も多数あり、例えば、ナルキッソス(ギリシャ神話に登場する美少年)、やパイドロス(ソクラテスの対話者)などの固有名詞が出てきます。
知っているとさらにこの作品を分厚く楽しめるのかなと思います。
ただ小説を読んでも結局は理解が難しいところも残りました。
例えば、第五章の没落の酒池肉林の夢の描写などは読んでいるのですが、理解が追いつきません。
少し壁を感じましたが、もう少し西欧文学を点ではなく、面で捉えていく必要がありそうです。
 
ヴェネチアの少年愛す冬もある

その他

・映画との違い
①そもそもタイトルが「ベニスに死す」と『ヴェネツィアに死す』で地名の表記の仕方が違う。
②映画はグスタフが音楽家で、小説では作家。
③映画は娘も妻も喪う。小説は妻の死のみで、娘は嫁ぐ。

今回は『作家と一日』に出てきた映画「ベニスに死す」の原作の紹介でした。
トーマス・マンあるいはドイツ文学の奥行きの深さを感じられました。
もっと縦にも横にも広げて読めると理解できることも増えるのかなと思うので、たくさん読んでいきたいです。

次はタッジオを演じたビョルン・アンドレセンを題材に描くドキュメンタリーを見ようと思います。
 
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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