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自信を持てなかった小さいころの私

ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
紹介した作品は販売します。気軽にお問い合わせください。

中学ごろまで、私は自分にまったく自信がもてませんでした。
小学校の記憶などないも同然。先日、同期の二人と話していてみんなよく覚えているなぁと感心しました。

なぜ、記憶がないのか?
きっと、私は自分の人生を自分で生きていなかったのではないか?と思うのです。

両親はことあるごとに”人に迷惑をかけるな”という人たちでした。


私は自分という自意識が育つ前に迷惑をかけないことだけが至上命題になったので、自分のことより立ち位置や他人との距離にばかり目が行っていたような気がします。

こういう両親の声かけは一種の呪いですね。
まぁ、レールの上を歩けと言われることはなかったのでいいのですが、、、


枠をはみ出ず、母の守備範囲にいることだけが安心なことだったような記憶ばかり。

小さいころは人見知りはひどかったし、幼稚園は怖いところというすり込みしかなく、年少の時は起きないフリを命がけでやって、行かないという意思を貫きました。


体をゆすられようが、耳元で声をあげられようが寝たふりをしているうちに親のほうが簡単にあきらめて幼稚園に行かなくてもいいということになりました。

面倒が嫌いな人たちでしたから、すぐ下の妹が幼稚園に入る次の年に一緒に入園すればいいという結論になりました。

私は4歳?にして、逃げ道を作ることを知ったわけです。ただし、両親に対してのみ、、、

小学校4年生のある日、両親は”あんたたち、もう二人で留守番出来るよね?私たちは友人のところに遊びに行ってくるわ”と宣言したことがあります。

行かないでという言葉を出せない雰囲気の中、ご機嫌で行ってしまった二人。

翌日、絵に描いたように寝坊してしまい、親のまねをして風邪をひいて休みますと連絡しました。今なら怪しまれることでしょうが、ノープロブレムでした。世の中、いい意味でグレーゾーンが残っていた時代でした。

そして、ご機嫌で帰ってきた二人は、私たちが怠け休みをしたことにも気づかず(知っても知らんぷりだったかも?)でした。

親に対する信頼感は徐々に減っていくばかり。
でも、それだからよかったのです。

自分で生きる道を探すことができるようになっていきました。
大学も就職先も自分で見つけ、結婚も自分のお金でどうにかやりました。

こちらが強く出るとタジタジになる人たちだったので、頼ることは大人になってからはほぼなく、だんだんと親と子の関係は逆転していきました。

だからって両親を嫌いになったわけでも、憎んだわけでもありません。でも、大人だからってえらいわけじゃないなと思わせてくれる存在でした。

そのおかげでやりたいことを今もやっています。
小さい時に人見知りだったというと意外だわと返されること多々。
でも、そういう苦い思い出があるからこそ今の私がいるわけです。

芯に強さがあっても小さいころは親という環境に左右されていたんだなと今はわかります。その環境があったからこそ、逆転の今があるんだからやっぱり両親という存在は偉大です。

いろいろあった二人をどうにか送って、今は私が息子たちの親元になりました。もう大人の二人。


どう思っているかを確かめずに、見守り、困った時だけ手助けしていこうと思います。

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