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【限界飯】逃げ出した花嫁と街中華

ここまで来ればもう見つからないだろう。
通り過ぎていく人たちには、もれなく見られているが、あの場所にいた人たちに見つからなければどうだっていい。
なんたってウエディングドレス姿の女が休日の神楽坂をぜえぜえと肩で息をしながら歩いているのだ。そりゃあ通りすがりの人達も見るだろう。
神楽坂には道路に面しておしゃれそうな店が多くある。老舗そうな時計屋さんの時計は短い針が6を長い針が7を指していた。
普通に歩いたら15分ほどだろうが、ウエディングドレスにハイヒール。走りずらいったらありゃしない。真っ白のドレスをずるずると引きずりながら、シャンデリアだらけの会場からここまで逃げてきたのだ。
そろそろお気づきだろうか。そのとおり。私は結婚式を抜け出してきたのだ。結婚式場は文京区の閑静な住宅街にある東京でも有数の高級ホテル。私のような一般庶民では普通に泊まることができないような式場で結婚式は行われた。正確には今も行われているのかもしれない。

ー1時間ほど前ー
時計の針が進むのがやけに遅いような気がする。小さいころからうすうす気づいていたが、私の人生では、つまらない時に時計の秒針が急ブレーキをかけるのだ。式が終わり、30分前に披露宴がはじまった。身の丈に合わない料理が非日常的な言葉遣いをする人間から運ばれてきた。実は主役は忙しいので結婚式の料理を意外と楽しむことができない。自分の会のはずなのに、段取りの中にゆっくり食事する時間は含まていない。新郎の会社の上司がつらつらと退屈なスピーチをしている。
「結婚には3つの袋がありまして。1つ目は堪忍袋、2つ目は、、」
このスピーチする人まだいるんだ。いっそのこと夫婦の愛など語らず、3つ全て金玉袋と言ってほしい。その前にお前はご祝儀袋はちゃんと出したんだろうな。どの袋よりも今はその袋が一番欲しい。
周りを見回してみると、気の合わなそうな新郎の高校の友達と目が合った。30才を過ぎてもなお大学生のような勢いで結婚式で酒を飲む人間と目を合わせるなんて人生で一番の無駄時間だ。私の家の方、新婦側では、うちのお父さんが調子よさそうに新郎側の父親にビールを継いでいる。新郎父は、赤字ばかりのお父さんの居酒屋の数少ないお得意さん。商社で副社長をしているその人の息子さんと自分の娘(私)が結婚したのだ。父は、「玉の輿に乗ったな」と自分のことのように自慢げに言っていたが、私の心境はあまり良いものではなかった。なぜなら、玉の輿といっても、実態は親たちが仕組んだお見合い結婚だからだ。結婚をすると私は今の仕事をやめ、専業主婦になるらしい。向こう側の家ではそれが常識らしく、「俺が稼ぐから心配しないで」と私が憂鬱な顔をするたびに彼はそういった。彼は稼ぎもあり、一見ジェントルマンのように聴こえるが、実際は浮気を繰り返すクズ男だ。浮気癖は父親譲りだそうだ。義理の母は、旦那の浮気を全て許し、陰で支えてきたそうだ。だから「お前も同じように支えろ」と理にかなってない美徳を以前お父さんが言っていた。私が彼と結婚すれば、家の面子は保てるし一生お金には困らないから父は心底嬉しいのだろう。お母さんは昔から父親の言うことに全て従うから今回も何も言わなかったが、実は私の心境の異変に気付いていたのかもしれない。彼には、何度も何度も浮気をしないよういったが、壊れたおもちゃのように頭を下げるだけで知らない女性との密会をくりかえしていた。限界がきたのは3日前。私が何度も足しげく式場に通い打ち合わせをしている裏で彼は会っていたのだ。結婚式は迎える前に1つ目の袋がもう破れた。結局何にも解決しないまま結婚式当日を迎えてしまった。

このあとはお色直し。
会場を出てトイレに向かうと、このあと友人代表スピーチをしてくれる里佳子にあった。里佳子は小学校の時から親友で私のことはなんでもお見通しだ。そこで私は、今までの苦しかったこと、結婚式を抜け出そうと考えていることを端的に打ち明けた。里佳子は一瞬ひるんだが、すぐに表情を変え、私に脱出計画を提案してくれた。小学校の時、私がいじめられているのを止めてくれた時と同じ表情をしていた。結局スピーチの際に里佳子が急遽ゲームを行うということになった。そのゲームは、彼に目隠しをして私のところまで参列者の指示だけでたどり着けるかというものだ。ここで私は出口の近くまで自然にいくことができ、彼は目隠しをとるまで私が逃げたことに気づかない。
そこからは全てが計画通り進んだ。
目隠しをしながら私を探す彼は今までで一番滑稽であった。出口方面に向かう私がその勢いのまま扉を開けて外に出るのに、会場中が異変を察した気がした。が、私は足を止めなかった。扉を閉める際、お母さんと目が合った。お母さんは、全て知っていたような顔をしていた。
それから私は、必死に走った。文京区と新宿区の間にはそこそこ急な坂がある。私はヒールを脱いで速度を上げた。家の前を掃除しているおじいちゃんは夢を見ているような顔でこっちを見ていた。鬼のような形相の私とは裏腹に神田川は今日もおだやかだ。

ー現在ー
お腹が鳴った。結婚式の料理はおいしいが量が少なく正直食べた気がしない。神楽坂の駅前の大通りをまがり、細い路地に入ったところに古びた黄色い看板に大きく「中華」とかかれた看板を見つけた。
前から行きたかった店だ。
彼が連れて行ってくれるのは、フレンチやイタリアンなどとてもとてもおいしいてたまらない店ばかりだったので、こんな店にくるのは久しぶりで最悪最高だ。
ドレスの女が一人で入るとお客さんは当然、厨房でチャーハンを煽っている大将まで手を止めてこちらを見た。すぐに駆け寄ってきたホールのおばさんは一瞬動揺した様子だったが私のこれまでを察したのか、なぜかすぐにいつも通りのような接客をしてくれた。席に着くと改めて今自分がしていることの異常さが冷静に脳に流れてきた。今頃結婚式場はどうなっているんだろう。おそらく私がいなくなった以前以後で血相を変えなかったのは、さっき目が合った新郎の友達くらいだろう。あいつは飯と酒を浴びに来ていたから。この後のことはどうすればいいか全くわからないが、今だけは全て忘れたい。

テーブルには、炒飯と麻婆豆腐と回鍋肉が並んだ。このあと2,3人くるかのような量だが、安心してほしい。誰も来ない。私は無我夢中で街中華を食らった。ウエディングドレス姿だったことを全く意に介さず、たれのしみ込んだ豚肉とキャベツを豪快に口に運んだ。麻婆豆腐は辛すぎず、かといってパンチは強くご飯に会う。炒飯は今まで食べた中で断トツ一位だ。味が純粋においしいのだが、今の状況も相まっておそらくこの炒飯を超えるものこの先出てこないだろう。次来た時は涙は出ないからもう少ししょっぱくないかもしれない。涙をいっぱいに溜めながらとうとう私は街中華をたいらげた。お代はいらないとおばさんはいったが、払わしてくれと頭を下げた。私のおじぎはあいつみたいなブリキのおもちゃとは違う。

何にも解決してないし、むしろ状況は悪化した。
それでも全てちゃんと話さなきゃいけないと思った。自分の気持ちを。彼にも、彼の両親にも、うちのお父さんにも。お母さんは言わなくても多分わかってる。

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