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私の春

娘たちがまだ小さかった頃

長女はその頃すでにとても気を遣う子で、
次女は今の病気を発症する前の
一番パワフルな頃だった。

私は娘たちを保育園に預けて
9時から5時までのパート仕事をしていた。

朝起きて、朝食を作り、自分の支度をして、
皆を起こし、小さな子どもがまともに
朝ごはんを食べるわけもなく、
何でもいいから…と口に放り込み
身支度を手伝い…
調子良く進むことは稀で。
いつもバタバタと家を飛び出す。
その頃は園に着いてグズることはあまりなかったからまだ良かったけど…。

自分が職場に着く頃にはなんだか
グッタリで、それでも仕事をこなし、
これまた慌てて保育園のお迎えに向かう。

ようやく家に着いたら今度は夕食の支度に
お風呂、後片付けに、翌日の準備。

書いてしまえば簡単だけど、
実際は常に
ドタバタの毎日だった。


具合が悪ければ病院に連れて行き、
辛そうな我が子に心労を重ね、
ようやく安堵して迎えた唯一の貴重な
平日休みは
姑の電話によりアチコチ連れて行くことに
なり終わる。


余裕なんてちっともなかった。

365日、
毎日がバタバタでクタクタだった。

日々をおろそかにするつもりはなくても
ザーザーと流れるように1日が終わる。


寝かしつけた後の薄明かりだけの部屋で
洗濯物を干している時、
ふと涙がこぼれた。
嗚咽を漏らしながら、それでも
手を止めることなく、
淡々とやるしかない事も何度もあった。


そんな中でも、子どもとの触れ合いが
救いになる瞬間は幾度もあった。


ある日、些細なことだったと思うけど、
子どもとのやりとりで私が大笑いした。

私にとっては、覚えがないほど
本当にささやかなことだった。

その日もいつものように
駆け込みで園に到着し、
帰宅してからの日常に流され、
あとは死んだように寝るだけ。


というところで、保育園の連絡帳に
目を通し忘れたことに気づいた。


先生からのコメントがいつもより
長めに書かれていた。


「お母さん、毎日お疲れ様です。
長女ちゃんは今日、登園してすぐに
私のところへ駆けつけてくれて、

『先生!あのね、すごく良いことがあったよ!昨日ねママが笑ってくれたんだよ!』

と、ピョンピョン跳びはねながら嬉しそうに話してくれました。長女ちゃんは、やっぱり
ママの笑顔が大好きですね!」

と、その日のことが事細かに、
目に浮かぶように書かれていた。


読み終わらないうちから私はわんわんと
声を出して泣いた。


きっといつも鬼の形相だったんだ。


「早く食べて!早く着替えて!
早くお風呂!早く!早く!」
全部そんな調子だった。


この時の春は桜が咲いていたことにも
気づけてなかった…


爽やかな風が吹いていることも、
ワクワクするような陽気も、
なにも知らなかった。

一日を子どもながらに頑張って過ごしてきた我が子との安らぐ時間をそこそこに済ませ、

唯一、毎晩してきた読み聞かせも
寝かせる為のものでしかなくなっていた。

すやすや眠る娘たちに
ごめんね、ごめんね。と
何度も謝った夜だった。



翌年は、
次女が病気を発症した。

同じく春。

小さい我が子たちとの貴重な時間を
もっともっと味わえば良かった。

今どれだけ願っても仕方ないのに…



私は春が好きだった。
今も、好きだと言える時はある。

けど、
桜が、春が、胸を締め付ける時もある。


日々の必死さで笑顔を忘れ、
子どもに
心細い想いをさせていたこと、

当たり前が、決して当たり前ではないと
気付かされ苦しんだこと

希望の象徴のような桜が
満開を通りすぎ
春の風の中、狂ったように散る。

それはとても苦しく私の胸を掴む。



そこから20年ちかくなるまでに
何度も春の慶びを感じられるようになった。

…私の心が健全であれば。

何かあっても前向きでいられるような
試練に立ち向かえるような
そんな軽やかで、強い私であれば。


今年の桜はもうとっくに散って、
青々としているのに、

今頃になって春が私を苦しめる。
…気を緩めたら、、すぐこれだ…

今の私は弱い…。


今年の春、長女が、

「私、桜が好きなんだよねぇ~」と
言った。

葉桜が少し見えだした
最後の満開のような、そんな
桜の木をぐっと見上げた横顔は、
もうすっかり大人の女性だった。


その姿にまた少し胸がキュっとなった。



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