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今日は二女の21歳の誕生日✨本当にありがとう!

障がいを持つ二女が21歳になった

病気が発症してから18年になる

あー。早いもんだな。


あの頃、今日を迎えることができるなんて思ってなかった。
…と、毎年毎年思っている。

嬉しいことです。



21年前の今日、やっぱり土曜日か日曜日だったと思う。

2歳の長女と外でシャボン玉をして遊んだ。
…まだ間の長い陣痛を感じながら💧

夕方、夫の実家へ行き、長女の保育園の事なんかを一通り説明して、義父さんの作ってくれたカレーを食べた。
お尻の穴を圧迫すると陣痛が楽になるので、正座をして、かかとをお尻にグッと押し付けながら速攻で掻き込んだカレーは、それでもやっぱり美味しかった。

いよいよ15分間隔に迫ってきたので、夫に病院まで送ってもらう。
長女との別れが寂しくて仕方なかった。
「ママ、がんばってね!」
涙を堪えながらひきつった笑顔を見せる長女を抱き締めて
「うん!がんぱるね!待っててね!
お姉ちゃんになるの楽しみにしててね!」
と私も涙を堪えた。

長女の出産時は、予定日より一週間早いタイミングで、やはり週末だった。
夫は
「今しかない!」と飲みに出掛け、へぺれけに酔っていた。

陣痛が来て、姉に病院まで送ってもらった。

私からの連絡で夫は慌てて駆けつけた。
…が、、
病院に着いても何の役にもたたない状態だった。

今回は、病院に着いてから陣痛の間隔を計ることはしてくれたから良しとする。

長女との時間をできるだけ長くしたいがために、ギリギリまで陣痛を耐えただけあって、病院に着いて間もなく、二女は無事に元気に産まれた。

少し小柄で、少しくせ毛で、とってもとっても可愛い女の子。
「やっと会えた〰️」と
幸せに包まれた夜11時だった。



21年前も3月、4月の中頃まで少し肌寒い日が多かったのを覚えている。


二女を出産してわずか2週間程で
私の体調が悪くなり始めた。
そして入院になってしまった。

実はその頃、義父も末期癌がいよいよキツい状態にあり、2人で同じ日に入院になった。

午前中、義父は痛む身体から声を振り絞って「家族のこと、頼むな…。お前も早く良くしてもらってこい…」と言った。

その日の午後、私は入院した。
高熱と頭痛、歯痛、胃痛、心臓は鷲掴みされるように痛み、正直、もう死ぬな。と思った。

苦しい状況はまだ続いた。

今度は生まれたばかりの二女も同じような症状が現れ、私の入院から数日経って、別の病院に入院してしまった。


恐ろしい感染症にかかっていたと知ったのは、二女が生まれて1ヶ月後。
私の退院時だった。


…無理矢理、退院させてもらった。


…その日、義父が他界した。


私に、家族の今後を頼むと言ったあの朝が
私には義父の最期の姿だった。


3年後、
二女は今の病気を発症した。

「いつ、脳が指令を止めるか分からない。
呼吸すること、心臓を動かすこと。
その指令をやめてしまうのは、
今日かもしれないし、明日かもしれない。
…でも、何年も先かもしれない。
生きましょう。生きてさえいれば何かが変わるかもしれない。医学の5年、10年は凄いんです。…」

その頃、担当医師は毎日毎日、沢山の言葉を伝えてくれた。必ず笑顔だった。


実際、数年後には山中教授が物凄い研究結果を発表したので医学の進歩は凄いと思った。

でも正直、当時は、先生の笑顔が憎く思える時もあったし、希望の言葉を受け入れる状態にないことの方が多かった。


でも、全部私の頭には残っていたようだ。

今なら理解できる。

今なら感謝できる。

今なら、あの笑顔の大切さがわかる。


そうやって、年月かけて少しずつ受け入れてきた気がする。




桜の開花予報が出る頃、
生暖かい春の陽気が感じられる頃、
ゴールデンウィークのお出掛けの予定に
世間が浮かれてテレビが街頭インタビュー
なんか盛んにしてる頃、

どうしてもよみがえってしまう。

景色がセピア色になって、もやがかかる。

…セピア色になってから気づく年もある。

「あ、その時季がくるんだな…」って。

もう、これは無意識に私の中であの頃が
いつでもいる証拠だ。

…もう、どうしようもない。共に生きていくだけだ。

忘れちゃうわけないんだから。

「たら、れば」はいくつも思いつく。

後悔なんていくらでもできる。

でも、もうしょうがないじゃない?

いくらそうしていたって、過ぎた事実が何か変わるわけじゃない。


時が、少しずつ、少しずつ、
「今の心境」を変える手伝いをしてくれた。


沢山の出逢いとか、関わりとか、
子どもたちの成長とか、親の老いとか、
夫婦の在り方とか、健康とか、不健康とか
ケンカとか、仲直りとか、
朝がきた、夜がきた、暑い、寒い、
雨ふり、快晴、そよ風と、鳥の声、、

それを感じ、経験している日常。


全てに意味があるようにしてくれている。


と思っている。

だから、年々、辛い気持ちだけに支配されることがなくなった。

あの頃、先生が言ってくれた
「生きましょう!」って言葉が腑におちた。


ねえ、先生。
生きるってこうゆうことでもいいよね?




「今日はね、あったかいよ。誕生日なのに
デイサービスってどうなの?ふふっ。
家族以外からおめでとうをたくさん言って
もらえるのイイよね!
帰ったらケーキ用意しとく♡
ペロっとだけだけど楽しもう♪
…今日もいい顔してるよ~!」

髪をしばり直して朝の身支度をしてる間の
何でもないけど、何でもなくないひととき。

産まれてくれて、そして生きてくれて、
たくさんたくさん大事なことを教えてくれて本当にありがとね。
この日を迎えられていることに感謝してるよ。



※二女が今、こうしていてくることは、
沢山の幸運と、何より関わってきて頂いた全ての方の気持ちが共にあることに深く感謝していて、改めてそれを心から感じられることが毎年最高の誕生日になっています。

デイサービスでバースデーカードを頂いて
穏やかな顔で帰ってきました。

今年も極々ありがちな日常と
家族揃っての誕生日パーティーになります。


ここまで読んで下さり、ありがとうございます🙇✨、

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