小田和正ライブ「こんど、君と」


友人に誘われて、連れて行ったライブ。
その日に感じた気持ちの、自分のための忘備録。

2022年10月29日、神戸ワールド記念ホールで開催された「こんど、君と」

ホールのキャパは8000人ほどで、2階のスタンド席からでもステージはしっかり見えた。
来場者の方はほとんどが50-60代くらいで、ちょうど私の親と同じくらい。
自分と同世代はかなり少なかった。
そういうわたしも、「小田和正といえば明治安田生命」というイメージで、
彼のライブパフォーマンスは映像でもほぼ知らず、まさに初見。
どんなステージなんだろう、と期待で胸が高鳴る。

開演予定の17時が少しすぎた頃、いよいよ小田さん登場。それも、Tシャツ、羽織のシャツ、チノパン、スニーカーといった軽装で。
えっと声が出るくらい、普段着のような衣装。
けれど、その存在だけで会場の熱気がケタ違いに上がっていくのがわかった。もちろん大人たちの集まりなので、皆さん落ち着いていらっしゃるが、静かな興奮状態が一気に伝染していく。
その空気の変わりようは、もう圧巻としか言いようがない。これぞライブ、そしてこれが、時代を席巻した大物歌手のオーラ!

だが、当の本人はいたっていわゆる“塩対応”。
熱烈なファンからの声援に、片手を上げるだけのさらりとしたリアクション。言ってしまえば軽くあしらっているような、あっさりしたサービスに思わず笑ってしまう。
けれど、そんな笑顔を浮かべていられるのははじめだけだった。


小さい頃に何度も聞いた、
“たしかなこと”の演奏が始まったときだった。

頭の奥の方で、懐かしい景色がみえた。
その映像はどんどん色濃く、鮮明になる。
20数年ぶりに、それも唐突に、小田さんの歌声によって鮮明に呼び起こされたのは、
あの懐かしい明治安田生命のCMだった。

見知らぬ家族たちの、何気ない日常を切り取った1分足らずのTVコマーシャル。
幼い兄弟が同じ寝相で寝ていたり、家族みんなで誰かの誕生日を祝っていたり。
全然知らない人たちなのに、なぜか知っているような、そんな風景の切り取りたちが浮かんでくる。

そしてその映像と共に、引きずられるように出てきたのは、ブラウン管の古いテレビだった。

その古いテレビに、明治安田生命のCMが映っている。
それを眺めているのは、テレビの前に座った、まだ幼い私。
隣にはおそろいのパジャマを着た姉が
ちょこんと座っていて、
振り向けばソファに座った若い母と父がいる…

みんなで食べたご飯の味、
リビングのあたたかさ、
お風呂上がりのシャンプーの匂い。
次から次にあふれてくる、数えきれないくらいの思い出たち。

一体わたしの頭のどこに、こんなに長い間しまわれていたんだろう。ホコリひとつなく、色褪せもせずに。

むせかえるような懐かしさに、思わず涙がこぼれた。


時間は止まらずにどんどん過ぎる。
わたしを育んだかつての「家族」は、もうその形を変えてしまった。
決して戻れない、思い出の中の場所になってしまった。

年齢を重ねて、たくさんのものを失って、はじめてわかる。
当たり前の日常がどれだけ尊くて、儚いものなのかということ。
そして、私の頭を撫でながらあのCMを見ていた母の目が、父の目が、どうしてあんなに優しかったのかが。

“ありふれた日々を積み重ねて、
お互いを見つめ合うこと。
一番大切なことは、特別なことではない。”


小田さんのその言葉と共に画面に映る
知らない人たちの日常、
だけどなぜかよく知った日常。
それらを通してわたしを、そして“今”という時間を、
抱きしめて慈しんでいたんだろう。

そんな記憶を私は、心の奥底に閉じ込めていた。
置き去りにしたその日々の中に、
たしかに美しい時間は存在していたんだ。
透き通った歌声が、そう私に教えてくれる。
心の中の硬い何かがほろほろと解けていくようだった。

誰もが羨むような唯一無二の才能を持っているのに、決して気取らず、華美な装飾もしない。
そんな彼が歌うからこそ、響く言葉がある。

輝かしい毎日じゃなくていい。
誰かの賞賛はなくていい。
SNSに並べるようなきらめいた日々でなくとも、
暖かくて優しい思い出を、大切な誰かと紡いでいくことができたら…
きっとそれは、誰かの命のお守りになるのだ。


あっという間にライブは終焉を迎え、
小田さんと楽器隊の方々の
美しいコーラスで幕を閉じた。

とても75歳とは思えないような、
パワフルでどこまでも響く歌声。
ストレートに胸を打つ言葉たち。
そんな彼の歌が、わたしの中の
大切な記憶を守ってくれていた。

彼のいる時代に生まれてこられてよかった。
そして、今日、ここに来られてよかった。
愛された記憶を思い出すことができたから。
そしてきっと彼が守っている記憶は、
私の分だけじゃないんだ。
ホールから出て行く観客たちの表情を見てそう思う。


暗くなった帰り道、電車に揺られながら
小田さんの曲を1人聞き直した。
ふと窓を見ると、
すっかり大人になった私がこっちを見返している。
かつて自分を守ってくれていた場所には
もう戻れない。
だけど今の私には、
守りたいと思える場所、人がいる。  

時間と共に何かが少しずつ変わっていくけれど、
それは決して
寂しいことではないのだと
小田さんの歌が、心に綴じられた思い出たちが、そう教えてくれた。

いつのまにか、窓の外にはいつもの風景が広がっていた。
夢のような世界から、いつもの暮らしへ、戻っていく。
この先挫けそうになることがあるなら、
あのホールで聞いた柔らかい歌声を思い出そう。
きっと何度でも歩き出せるから。

見慣れたオレンジ色の街灯の中を、電車は駆け抜ける。あたたかな光に、大事な人たちの笑い顔が重なった。

わたしを守ってくれた人たち、
そして、私が守っていきたい人たち。

そのやわらかな光たちは、窓の外を流れ星のように弧を描いて通りすぎていく。
まるで、おかえり、と私に手を振るように。


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