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激緩個別指導塾に勤めて考えたこと。


大学に入ってから塾講師のバイトを始めた。
基本的に個別指導塾に来る子は勉強が苦手でどうにか学校の勉強についていくために塾に来る。しかし教える側は大学生か大学を出た人だ。私はというと、勉強はどちらかといえば好きで、真面目にやってきたし、元々教師を目指していたほど教えるのも得意な大学生だ。だから中学生レベルなら容易に教えられるだろうと思っていたがそんなこともなかった。要は私は大学に行くための勉強方法しか知らないから大学に行くこと、つまり大学受験を視野に入れて中3の時点でどの程度出来ていればいいのか逆算して知識を教えたりしていた。それに大学受験を考えたら今のうちの基礎の積み重ねは大事だから教え方もそれなりに厳しくしていた。
でも彼らはきっと大学受験をしないと言う事実にある時ふと気づいた。恐らく勉強が苦手なその様子からしてはっきりと言ってしまえば名前が書けたら受かりそうな高校に入り高卒で就職するか専門学校に行くのだろう。もしくは指定校推薦で名もなき大学に進むのだろうか。(ビリギャルみたいなことをすればまた話は変わってくるが)
今や大学進学率は50%を超えている世の中で、高校、大学は試験という名の選別が行われた結果、周りには自分と同じくらいの偏差値で同じくらいのレベルの進路を志す人間しかいないから忘れていた。大学進学率が50%を超えているということは、逆を言えば未だ40%弱は高卒で就職しているのだ。(今の世の中中卒はほぼ居ないと思われるので除外。)
別に専門学校や高卒で働くこと、名もなき大学に行くことが悪いと言いたいわけではない。ただ、その子たちに勉強をどう教えるか、そもそも教える意味なんてあるのかと考えてしまうのだ。もちろん、綺麗事を言うなら勉強というのは生涯続けるもので社会生活の中で役にたつものだから大学進学の如何に関わらず勉強は一生懸命するべきだ。でもそれは結局大学受験まで本気で勉強してきた人にしか当てはまらない話で中途半端に高校まで勉強してきた人の知識が社会生活の中で役に立つことはそう多くないどころか、中途半端に知識があるとかえって騙されやすいことすらある。
それに何よりも、大学生の多くが大学受験を終えたら遊びに走ることが全てだと思う。
結局多くの学生は大学合格をひとつのゴールとして勉強しているから大学に入ってから遊ぶのだ。生涯勉強なんて少なくとも今のところは綺麗事にすぎない。それを考えると大学受験をしない、高校受験は難易度の低いところに入るから受験勉強も要らない子たちに勉強を教える意味って何なのだろうか?その時間、この子たちの好きなことをした方が幸せなのではなかろうか?と考えてしまう。でも高いお金をいただいてる以上はちゃんと教えなければいけない。
激ゆる管理な塾でカリキュラムは大学生の私に一任されているので
試行錯誤してそれならば役に立たない知識を教えるよりは論理的思考力を鍛えたほうが生きていく上で役に立つかなと現代文や英語の長文読解を行ったりもした。
けれどそれだとかなり長期的なスパンで結果を見なければいけないから親御さんは塾に通っているのに中々成績が上がらないと不安になるだろう。だから同時並行で中学生の定期テストでよく出る単語をまとめて暗記→テストのサイクルを繰り返すのも行った。これはやはり短期的に大きな成果をあげ、生徒からも『学校の単語テストで良い成績を取れたよ!』と嬉しい報告を聞けた。すごく嬉しかったけどまだわからない。彼女はこの単語を今は覚えているが恐らく復習もしないので短期的な記憶に終わる。この勉強に意味があるのだろうか?
今この瞬間、単語テストとかそんな些細なテストで良い点を取らせ自己肯定感を満たすためだけに私は存在するのか?答えはわからない。


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