17宗教界に対する失望感~「霊と金」スピリチュアル・ビジネスの構造

 光射すところに必ず影が生じる。スピリチュアルという言葉が世に認知され普及していった20年ほど前、その言葉は物質偏重に対するアンチ・テーゼで古来からの精神性に回帰しようという響きがあった。対して現代はどうか。断然いかがわしさがある。SNSで氏子との軋轢を呟く神職、尼僧に対しAVでもありえない淫行を働く高僧、目に見えない世界を扱いながら一般人より商道徳に劣る精神世界の人々、全体から見れば一部であっても恐縮ながら失望感を抱く。

 スピリチュアルの本来の意味が霊性とか精神性だとすると、現在巷で言われているそれは世俗的であり、欲望肯定路線だと感じる。開運だの御利益を説く人にまともな人はいないというのが私の見立てだ。本当の意味で精神修行をできた人の言葉には厳しさが伴うはずだ。

 【「霊と金」スピリチュアル・ビジネスの構造】櫻井義秀(著)を読み、現代スピリチュアルと売掛ホストや、いただき女子のマニュアルがつながる感覚を覚えた。均衡を欠いた心に処方する麻酔のような言葉に顧客は喜んで搾取される。
 誰もが自由に発信できる時代、心という目に見えないものを扱う人で、本当に信頼に足る人はどれくらいいるのだろう。
(500文字)
 

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