見出し画像

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど   #1 告知

 もう5年以上前の話になる。他の病院からの紹介で血液内科のある大病院を受診した。私は半年ほど継続的に白血球の数値が高く、念のためということだった。

 担当した30代頃と見られる男性医師は白血病について説明してくれたが白血球の数値が白血病にしては低いらしく、おそらく違うだろうという感じで話をしていた。検査結果は一ヶ月後ということで病院を後にした。

 その頃、私は強い疲労を継続して感じていた。また、人間ドックでは脾臓の肥大を指摘されていた。妻はインターネットでいろいろと調べ「白血病ではないか?」と心配していた。私は、自分にそこまでの不運は訪れないだろうと人ごとのように話を聞いていた。

 一ヶ月後、病院に検査結果を聞きに行った。医師や看護師がいきなりシリアスモードになっているので驚いた。
「結果は慢性骨髄性白血病です。別の医師に担当を変わってもらいます。」
まさか40代後半で死に至る可能性のある病気の告知を受けるとは思わなかった。自分のことではないように医師の話を聞いていた。

 若い男性医師に担当が変わり、骨髄穿刺という痛い検査をした。腰から魂を抜かれるようだった。医師は骨髄穿刺をしながら
「一生、薬を飲んでもらうんですけれどね。」
と言っていた。おそらく不治の病ではあるが薬を飲んでいれば簡単には死なないと言うことを伝えたかったのだろう。

 すぐに治療を開始した方が良いということになり、一週間後くらいに入院することになった。妻に状況を説明すると泣かれてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。その後、インターネットで病気について調べると、今は薬を飲んでいれば8割~9割は助かるらしいことが書いてあった。妻を少し安堵させることができてホッとした。

 翌日に出勤して、上司や同僚に入院することを報告した。全員にとても驚かれ、病状についていろいろと聞かれた。しかし、骨髄穿刺の結果を見ないと慢性期や急性転化期といった状態が分からないので病名などの詳しい話は後日ということにした。

 このときは、入院して治療を開始すれば、今後も仕事や私生活を充実させることができると思っていた。また、病気で後れをとったと思われたくない気持ちもあって、病休中の仕事の調整を寝る間も惜しんで頑張っていた。

~#2 入院①<スプリセル対応>に続く~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?