小説1.殻付きたまご

朝方、まだ午前4時頃かと思われる。
空の色がまだ紺やら黒やら紫やらだから。

二度寝でもかましてやろうかなと目を閉じてみたけど眠れる気がしないし、仕事もあるから寝坊したくないし、と思って起きることにした。
やるせないけどしたい事も無いから仕事の支度でもしようかしらね。

いつも朝飯は抜いてるけれど今日は時間もあるしコンビニなんぞに行ってやろう。支度の前に腹ごしらえでもしてやろうと、
重たい足と毛玉だらけのパジャマと安物財布で夜明けの道を進んでく。

コンビニに着き自動ドアを開かせ私は颯爽とパンコーナーへと向かい、選ぶ余地もないほど少ない種類のパン達をじっくり舐め回すように見続ける。
すると挨拶すらしてこない店員がジロジロジロジロと私を見てくるじゃあないか、何だってんだ、ボロボロパジャマにボサボサヘアーの私に好意でも抱いてるのか?と嫌味のような自虐を胸にしまいこみ、売れ残りのたまごサンドとミルクティーを持ちレジへと向かう。

レジ台に商品を置くと、先程見つめてきていた店員がやってきて口も開かずノロノロとレジを打ち始めた。
内心で無愛想すぎる店員に対して何だ貴様は接客業をしているものとは思えん態度だなコノヤローと稚拙な事を浮かべていたが会計に五百円玉を支払うとそんなことすらどうでもいいと思いお釣りを受け取った。
いくらかばかりの小銭をしまい私の物となった品を持ち外に出てようやく今日初めての時間を見ると五時四十二分と表示されている。

別になんてことはない。それだけ。早く目覚めて少しの不満を誰かに抱いた。それだけだけど、なんとも憂鬱な朝になったことだろうか。
しかし仕事へ行くか行くまいか決める時間は大いにあるな、と。

私の右の耳元で悪魔が「いつも頑張ってサービス残業までしてやってるんだから今日くらい休んでもバチは当たらないよ、早起きは三文の徳でしょ?休んじゃえ」と囁く。
私の左の耳元で天使が「せっかくの早起きです、どうかほんの少しばかり怠惰を除き支度をして仕事に行きましょう」と囁く。
私は右利きなので、右手で天使を払い悪魔の意思を受け継ぐとしよう。
7時頃に欠勤の報告を上司に電話かメールでもしておきますかね。

小さな小さな一◯三号室の私だけのお城へ帰ってきて買ったものを床に置き即座に布団に潜り込んだ。

休むにしても何をしようか、近頃は別に映画も読書も気が乗らないし、惰眠をむさぼるのもいいが起きたとき無性に虚しく感じられるから嫌だな。
親しい友人も居ないし恋人も居ない、頻繁に連絡を取るほど家族仲も別に良いわけじゃない。普通。普遍。中の下といった生活。当たり障りない。誰にも迷惑をかけずかけられず。口癖になった「あぁ、すみません。」という言葉。
何も無いから何も出来ない。休むと決めたし休むのだが、何かをしたいと思うほどの活力もない。はて、どうしたものか。

ダラダラ悩んでいたら七時三十七分になっていた。
とりあえず上司にメールを送る。
仕事の連絡のためにと仕方なく教えたライン。
そこに欠勤報告をしていると、ふと上司のラインのプロフィールの海を写した画像によって少しだけだが海にでも行こうという考えがよぎった。

どうせ時間はあるんだ。職場の誰に何を言われても今日は休むのだから海を見にいくついでに街へと駆り出そうではないか。我ながらいい考えだ。天才だ。

連絡を済ませ、そそくさと化粧や数の少ない安物の私服を纏い支度を済ませる。誰に会うわけでも無いのに。

指定の制服やスーツの群れに混じり、ここよりかは都会へ向かう電車のホームにたどり着き、住宅地だがこれといった観光地でもなく大きなショッピングモールやビルもないこの街に電車が停まり、群れと私は乱れる列に流れるがまま箱に乗った。

満員電車は嫌いだ。他人と距離が近くて息があたったり押しつぶしたりしないように力を使うから。他人の目が怖い。
他人なんかどうでもいいですよ私。みたいな顔をしながら背中は生ぬるく汗で湿るのも、そんなことを気にしている私も、平気な顔で談笑したり我が物顔で広く場所を取る他人も、私と似ている考えを持ち同じように縮こまる他人も、全部嫌いだ。

ようやく目的地のやや都会へ着いた。皆いっせいに待ってましたと言わんばかりに濁流のように外へと流れ私も流れる。

この街にある大きなショッピングモールの屋上に展望台がありそこから海が見えることを私は知っている。中学だったか高校だったか、なんであれ学生の頃に仲良し度が微妙な小うるさい友人とも言えなくはないが言いたくもない人とそのショッピングモールは幾度か立ち寄ったからだ。
しかし、着くのが早すぎた。開いてないじゃないか。こんなときに都会は助かる。どこかしらのカフェやらは開いているから。

もうそろそろだろうと、小洒落たカフェからそそくさと退出した私は目的地へと向かう。
しかしまだ開いて間もないもんで、すぐに海を見てトンボ帰りもつまらないからショッピングでもしてやろうと思い立った。
一応、私は二十代前半なのだからもう少しお洒落もしたいもの。
しかし、そこそこ大きいモールの中の店舗を一軒一軒しらみ潰しに覗いては、良いなぁでも似合わないしなぁこれも高いしなぁなどと屁理屈こねまわし言い訳ばかりを渋滞させていた。

本当に、本当に駄目だな。私は。

それでももう十一時も終わりに差し掛かるまでは時間だけは浪費した。
休みたいし疲れたし、輝くだけ輝く手に入れないものを見ているのも飽きてきたころだ。
お腹も空いたし飯を食べようとモール内の洋食屋に入り生たまごの乗ったカルボナーラを頼み、写真と遜色ない料理が机に置かれてようやく空かした腹が満たされた。

今日は頑張ったほうだろう。もう良いだろう。と思い店を出て屋上の展望台へと歩みを進める。

展望台に着いて、更地の海を眺めて今日の目的が、ほんの少しの覚悟が終わったことを知る。
途端に涙が出そうになって、大声で叫びたくて、誰でもいいし物でもいいからとてつもなく乱暴な言葉や暴力によって傷をつけてしまいたい気分になる。
一ヶ月の内二十日ばかりは仕事に費やし、定期的に来る休日は惰眠や怠惰によって消え失せて、今日は気まぐれだろうがここまで来たのに、私は何をしたんだろうか。私は何をしたかったんだろうか。
ひとりだ。ひとりだ。
誰かが汗を流してる間、誰かが笑っている間、誰かが大きな涙を零してる間、誰かが眠っている間、誰もが生きている間、誰かが死んでいる間。
無様にも小さな火をともし、サボり、街へ出て、何時もの日常からはみ出してみればこんなにも一人だったのか。日常の殻に籠っていれば良かったものを、私は私のせいでそれを破りここへ来たんだ。
いつから一人だったんだ?何が虚しいんだ?この気持ちを笑ってくれる人も共に泣いてくれる人も居ない。いっそのことここから身投げでも出来るほど強ければ良かったのに。弱い。
視界がほんの少しだけ滲むけど頬には流れることがない。口角がほんの少し上がるけど空っぽの心で声まで出せない。

帰ろう。また殻に籠もる日々へと戻ろうよ。

帰りの電車は空いていて、溜め息を吐き出して座席へ座る。まだ十四時だ。何も無い私は家に着いたら何をすれば良いのだろうか。一度破った殻はまた戻ってくれるだろうか。
電車を降りて、見慣れた街の景色に受け入れられてない気がしている。都会へ向かった私を裏切り者と罵る声が聞こえる気がする。
引きずりそうな足と頭を下げたままで全国チェーンのこの田舎街からしたら同じ裏切り者の朝と同じコンビニに立ち寄った。
コンビニは何処にでもあるから、平気な顔で都会だろうが田舎だろうがそこにあるから、だからおんなじ裏切り者よね。
安直な考えで安心しようと店に足を踏み入れて気付いた。朝の店員と同じではないか。挨拶もせず無愛想でジロジロと見てくる。
何故居るのか。朝からずっとなのか?こいつも日常の殻にこもり、それでも尚傷をつけたい気持ちを抱き、それでも何も言わずに無意味に生を続けているのか?
殻を破った裏切り者の私はここに居てはいけない気がして、店内をぐるりと見回したあと買いたいものが無かったというような素振りでそそくさと店を出た。
寄り道なんかしないで帰れば良かったものを、私は本当に大馬鹿者だ。私の勝手な考えで安堵しようとすればこうなった。

もう帰ろう。布団に包まれてもう寝よう。もう疲れたんだ。私の小さなお城で誰にも見られず知られず、誰も見ず知らずの殻へと戻ろう。
家に着いて、布団へと向かう足が止まる。朝にあのコンビニで買ったたまごサンドが置き去りにされていた。

私は忘れていた。無作為に破られ、潰され、挟まれたこのたまごサンドを。
これは待っていた。私に食べられるのを。
私の小さな城で。
殻に籠もろうとした私と違って、殻をなくしたこれは待っていた。存在意義を。私のことを。
「ごめんなさい」
「忘れてて、ごめんなさい」
袋を開けて私はゆっくりとたまごサンドを食べ始め、特別不味くも美味くもないのに涙が溢れた。
こわくて、弱くて、惨めで、悔しくて、でも何もしようとしなくて。
私はそんな人間だ。

食べ終えて、ほんの少しだけ、許しが出た気がした。殻にこもることの。今日、殻を破ってしまったことの。

頑固で弱気で少し狡くて惨めな大馬鹿者な私はひとりであることを知って。

私の胃へと招待されたたまごサンドに、大丈夫だよ。君だけじゃないから。きっと大丈夫だよ。だなんて言われた気がして。

変わらないけど、変わらないから、変わらないなら、変われないなら、私は私へ帰ろう。
私も誰かもあのコンビニ店員も自らの場所を守っていたいのだから。安心できる場所が欲しいだけだから。貪欲じゃない私達。夢を肥やすことも消費することもない私達。希望や絶望の淵など知らない私達。良いのだこれで。

私は私の小さな小さなお城で。破れてしまった殻の内側で。
ひとりで明日は仕事へ行く安心感に身を委ねて布団に包まれ静かな部屋で眠りについた。

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