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ネギを切りながらものさしについて考えてみた

長ネギが綺麗に切れなくなった。
あの、切ったと思ったらつらつら〜っと繋がってる状態。
コレを見て、包丁の研ぎ頃だと思うのは私だけではないはず(だと思いたい)。

定期的に決めているわけじゃない。
毎月研いでますよ〜、なんてことは全くないので、私は長ネギに頼っている。

そして思ったのです。

自分流のものさしって大なり小なり、誰にでもあるはず。このものさしを研ぎ澄ましていけば、人生の引き際も感じられるのかも…と。


死期を知りたい、とか死にたい、とかそういうのでは全くなく。
『そろそろ頃合いかな』
みたいに生活の一部として感じたいなあと贅沢にも思ってしまう。

その時になって、まだ死にたくない!生きたいんだ!とあがいているかもしれないけれど、そろそろかな…という感覚には憧れてしまう。
なんか、かっこいい。


生き死にとは離れて、自分流のものさしは他にないかなあと考えてみた。


例えばお腹の状態。
私がイライラするのは、たいていお腹が減った時。年齢とともにマシになってきたけど、若い頃はよくお腹がへるし、よくイライラしてた気がする。
付き合いたての頃、夫にも「そろそろお菓子でも食べる?」と言われたことがある。
イライラは空腹のものさしだった。
……ということは、今は空腹になる前に対処できてるってことなのかな?
それとも空腹でもイライラしないマインドを手に入れたのか?

他には、ネガティブになりやすくなったら1人時間をもとうの合図。
考え事や受け取り方が悪い方向にばかり振れてしまう時は、私の頭がパンクしそうになっているのでひと休みが必要。
1人で過ごす時間をもって、頭を空っぽにしたり、頭の中を整理したりする。するとスッキリピッカリのんひりいこう、と思える。
1人時間って私にはなくてはならないもの。
ネガティブになりすぎている=身体のサインだということに気がつくまでは、荒れていたと思う。たぶん…。

あと、初対面の人と会う時にもものさしが働いている気がする。
声のトーンや全体的な雰囲気、このあたりは言葉にするのはなかなか難しいけれど、自分の好みがある。
思い起こすと、気が合いそうとかもっとお話ししたいなあと思う人は、声に惹かれている気がする。
声フェチという私の嗜癖がモロに出ている。
声だけで近寄りたくないかも、と思うことさえあるから困ったものだ。
どんな声が…、というのは語彙力がなくて言葉にしにくいのだけれど、素敵な声ってビビッとくるものがあるんでよねえ…
ハスキーな声も柔らかな声も、低くて落ち着いた声も心に響くいい塩梅があるのですよ(偉そうだけど私的な感じ方ですので)


ああ、ネギがもたらすものさしよ。
私に気づきを与えてくれてありがとう。
早速包丁を研いで、私の感じ方も研ぎ澄ましていこうじゃないか。

きっとみなさんにもありますよね?



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