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継ぎ足すほどに、味わい深く

3ヶ月ほど前に、知り合いのお店から秘伝のタレをいただいた。

お店の卵かけご飯を息子がいたく気に入り、
娘はつくねをおかわりし、
家族そろって焼きおにぎりに感動。

作り方を聞いたところ、
ありがたいことに教えてくださった。

にもかかわらず、
タレを作っている寡黙な店員さんが、
「よかったらどうぞ…」
1リットルのペットボトルに並々注いで持ってきてくれたのだ。

「材料は揃っても、
刻んだり煮込んだり大変でしょうから」
とのお心遣い。
本当に本当に嬉しくて、
家族そろって大事に使っていたのだけれど、昨日使い切ってしまった。


なくなってしまった寂しさとともに、
秘伝のタレって人生似てるかも…
と思ったのですよ。気がするだけ、気ね。


私は思い出に疎い方だ。

誰かとどこに行った
あの時こんなことがあったよね
あの建物はどうだった
家族や友人に言われると、
「そんなことあったけ?」
と返していることが多い。

20代の頃からそうだった。
気がついた時には、思い出せないことが多いと気がついた。ややこしい。

その時々楽しんでいるはずなのに、
なんなら嫌な思いもしたことがあるはずなのに、
楽しいことも嫌なことも綺麗に思い出せないことがある。
もちろん、話を聞いてうっすら「そうだ、こんなことあったね」と思い出すんだけど、広げられるほど詳細には思い出せなかったりして。

これはやばいかも…と思ったのは、
父(漁師)がサメに足を噛まれて大怪我(大袈裟?)をしたことがあった。
私が中学生の頃らしい。
そのことを成人してから聞いた時、思い出せなかった。きれいさっぱり忘れていた。
最近もその話題が出た時に、画像として父の足に包帯が巻かれた様子が頭には浮かぶんだけれど、これが本当の記憶か、はたまた作り出した画なのかは定かじゃない。
なんとも不思議な感覚。


こういうことは生きている中で多々あって。
家族にも友人にも驚かれるけれど、思い出せないものはしょうがない。
きっと記憶の奥底の底、何かの下敷きになってるんだろう。
それか思い出せなくてもいいよの箱に分けられたりして、
引っ張り出すのも一苦労もふた苦労もするんだろうな、とあきらめている。

楽しいことも嫌なことも
悲しかったことや怒ったことも
分け隔てなく、いや、もしかしたら差があるのかもしれないけれど、気がつかないうちに思い出せなくてもいいよの箱に入れられてしまう。


秘伝のタレは継ぎ足すほどに味わい深くなる。
人間も、歳を重ねるごとに味わい深いもんさ、
と誰かが言っていたとかいないとか。

私はとことん忘れてしまう生き物だから、
本当に味わい深くなっているのか疑わしい。
なくなった秘伝のタレのボトルを見ながら、
自分が浅く、面白みのない人間だと卑下してしまった。
またタレをもらえないかの下心でお店に行こうかな。

他にもこんな方います?
中にはめちゃくちゃ覚えてる方もいますよね。
事細かに、言っていたことまで覚えていたりして、本当にびっくりしちゃう。
その記憶力が羨ましい。

思い出は継ぎ足してるはずなのになあ…

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