フランス滞在の記憶「θ」ヨーロッパ周遊+アラン・ドロンに会えるツアー
1990年代。
旅行会社の企画ツアーでヨーロッパ周遊しつつアラン・ドロンに会うツアーがあり、これに参加したときのこと。
ヨーロッパ3か4ヶ国を周遊、途中フランス滞在中、一夜だけディナーパーティーがあり、そこでアラン・ドロン氏に会えるというもの。
一緒に写真をとる、花束を渡すなどのオプションがあり、それぞれ追加費用を支払えばツアー参加者は誰でも可能だった。
この時のツアーは大変タイトなスケジュールで毎日朝早くから夜まで忙しく動いていた。
ツアーで組まれているレストランに連れていかれる時に飲み物は確か別料金で、水よりワインが安いと同行者がいつもワインを頼んでいた。
イタリア経由時にポンペイの遺跡に立ち寄った。当時百科事典や学習雑誌の特集でしか、ポンペイの噴火の史実については目にしたことがなかったのだが、本当にあった出来事なのだと一気にリアリティーを持って自分に迫ってきて、それまでのタイトな一連の旅程がまるで過去に戻るタイムマシンだったかのように感じた。
最終日付近にフランス滞在が含まれており、
ポンペイの遺跡の時代からは多少ワープし、絶対王政あたりの時代へ。
フランス数日の間にお決まりのルーブル、そしてベルサイユ宮殿などに滞在するツアーが組まれていた。
旅程がタイトで体力的にも限界が来つつあったその夜。遡ってきた歴史はさらに現代に近づき、アラン・ドロンのディナーショーがついにやってきた。
アラン・ドロンファンの同行者はこの日のパーティーの為に衣装を嬉々として日本で選び、それはそれはその日を楽しみにしていた。
しかし私の体力は限界で、多少着飾ってディナーパーティーには出たが、どうも体調が優れず会場を出たり入ったりしていた。
皆が自分を崇めて当然のスターからしたら、かなり迷惑なお客だったと思うが、体調の悪さと、これを逃したら一生この距離では見られないという気持ちが葛藤し、、その上での行動であった。
、、、なんて彼には絶対に理解されないだろう。
ご本人はお年は召されていたが、大変ダンディーでハンサム。スターのオーラがあった。
同行者はオプションの花束を渡して写真も一緒に撮れて大満足の様子だった。
パーティーの最後に誰でも握手できる時間帯があったので、握手を求めに行ったが、彼が私の手に触れることはなかった。
自分のパーティーの間、頻繁に出入りして悪目立ちしていた失礼なお客には触れたくなかったのかもしれない。
夏になるとアラン・ドロン主演の太陽がいっぱいを思いだす。そして参加したこのツアーのことも。