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国を越え普段の生活ではすれ違うことさえない、誰かと出会ったこと。

かつて日本では決して出会えない身分の世界中の方々と時間をともにした。その記憶をたどりながら考えたこと。

わけあって自身の人生航路を操り海外長期滞在していたころの話。

思わぬ身分の人と会って普通に話をする機会があった。日本で普通の生活をしていると縁のない人々だ。

とある国のやんごとなき身分の方々、政府関係者、経営者等々。

話せば長くなるが、そんな方々と一緒に、少しの期間たまたま同じ課題解決に取り組む事になった。

とにかく人の根回しから、文献調査、などなどあらゆる「宿題」が多くてなかなかハードな毎日だった。

自分のようなその辺にいる人とはわけが違い
彼、彼女らは志高く競争試験を突破してきていたり、生まれながらの特権階級でそれなりの教育を受けてきていたり、ビジネスで成功をおさめた方々だ。

それまでの努力貯金のようなもので楽々こなしていると思っていた。

話をしたら、どうもそうではないらしい。

同じように苦労してる話を一緒にグループで食事をしたり、ちょっとしたミーティングが終わった後の立ち話で聞いてひどく驚いた。

程度の差はあれど基本的に人間の能力はほとんど差がないのではないのか説を唱える知人がおり、全く同意できなかったのだが、このときばかりはその話をうっすらと思い出して
しまった。自分と全く違う経験を持つ彼らでも同じように思うのだ。

この私も同様にこなしている「宿題」のようなものを大変だと思うのだと。

これをこなすことで育まれたのはあらゆる「ストレス耐性」だったような。体力的にも精神的にも。その後出会う困難は、どれもあの時に比べたらずいぶんマシだと感じるゆえに。当時ほんの少し自分と人生が交差した彼らは今は国や経済の中枢にいるのかもしれない。

綺麗な飛行機雲の写真にひかれて上の写真を使った。

自分の人生をまっすぐなこの飛行機雲のような線だとすると、これと全く平行の、1ミリも狂わずに平行の人生をたどりながら生きる人が世界中に沢山いる。

平行線はどこまでいっても交わる事はない。

しかしひとたび角度を変え、その方向へ手を伸ばすと、途端に別の価値観で生きてるような人達と交わる機会が訪れる。

それはお互いを必要とするほんの一瞬だけ交わり、そしてお互いに違う方向へ歩きだすことも。

今の人生の線の角度を少しだけ。
ほんの少し変えるだけでこれまで決して交わらなかった人と交流する機会が訪れる。

小さい角度なら
交わるのまでに時間がかかる。

鋭い角度なら
短い時間で交わる。過ぎるのも早い。

角度は自分で選べる。360度どこへでも。