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子どもたちに学ぶこと

今年、だけではないのだが、今年はもっと素直な目線で子どもたちから学びたいと思っている。

上の子どもが小学生を迎え、毎日送り迎えをしていた保育園時代とは違って、自分で登下校するようになった。
いつの間にか、自分の知らない世界が増えていて、私に対してもたくさんの「秘密」ができているようだ。
頼もしいようで、まだまだ目が離せないような気持ちもあって、どれくらいのバランスで関わったり守ったりしたらいいんだろう、難しいと思っている。

これからも、このバランスはどれくらいがいいんだろうと悩むのだと思う。
子ども本人の思いも尊重したい、でも親としての自分の思いも伝えたい。
ただ、「言うことを聞かせなくてはならない」経験があまりにも蓄積されると、私の経験上それは子どもを害すると思っている。
親の目から見れば、「こうすればいいのに」と思うことでも、まず子どもたちがやってみて、時に成功したり時に失敗したりすることが必要なのだ。

自分で考え自分で判断し、その結果に自分で責任を持つ。
そういった経験を育てず、言うことを聞くようにしているのは、ただただコントロールしているだけであって、育てているのではないと思う。
私は恐らくそういう環境で育ってしまって、今の自分を自分で育てなおさないといけないことが多々ある。
そういう環境で育ってしまった影響もあってか、子どもも自分の言うことを聞かせようと動いてしまうことが実際に何度もあった。
冷静になったときに、「また子どもに押し付けている」と反省しつつ、環境の影響は恐ろしいと思う。
ただ、そうなりやすい自分の在り方を自覚し、変えていこうとする努力がこれからも必要だと考えさせられる。

子どもが生まれる前後で、子育てに関する本や、子育てに関する情報の書かれたインターネットサイトを検索し、情報を集めて「学んだ」つもりだった。
時にそれらは役に立ち、時にそれらはあまり功を奏さなかった。
ただ、恐らく「親の自分にとって役に立つ情報と思えるかどうか」だったのだと思う。

当の子ども達本人に意思が生まれ、「こうしたいんだ!」という気持ちが芽生えてからは、ぶつかることもしばしばある。
でも、ぶつかってきてくれることが大事で、大変だけど、どう受け止めるかを練習中であると認識する。

最初から親になんかなれないのだ。
ちょっとずつ子育てを経て、子どもと向き合って、親になるのだと思う。
まだまだ子育て始めて10年もたっていない。
子ども達の成長に笑わされ、泣かされ、日々が過ぎていく。

そのなかで、子ども達に学ばされることがたくさんある。
とりわけ、私がメンタルの不調を患ってからは、上の子には我慢をさせたり、気を遣わせたりする場面もないわけではなかった。
そのことが、子どもに悪影響を与えるのではないかと心配した日もあった。

でも、こちらが学ぼうとしているように。
子ども達も自然に学び、成長していく。

調子の悪い日に、私が片づけをしていると、それとなく上の子が散らかったおもちゃを自分で手に取り、こう言った。
「片づけるね。自分が出したおもちゃだから、自分の責任で片づけるよ」。
自分の責任、という言葉の重みが、どこまでわかっているかはわからないけれど、そうやって言葉に出せるくらい、子どもにも何か感じるものがあるのだろうと思うことにした。

今年もこうやって、子ども達から学んで、ちょっとでも自分らしく、「親」になれればと思う。
格好は悪いかもしれない、でも笑って泣いて生きている、一生懸命踏ん張って生きようとしている親の姿を見て、子ども達もこの世界で踏ん張って生きるしたたかさを身につけてくれればと願わずにいられない。

せっかく私たちは、この世界に産まれてきて、家族になれたのだから。

子どもたちが私の姿から何かを学んでくれるかもしれないし、私自身も子どもたちから学びたいと感じている。
そうして今年も、ちょっと頑張って、自分のこころを使って、学んでみようと思っている。


#今年学びたいこと

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