その裏のストーリーも必ずある

こんにちは~!!
前回書いた記事、ここでは子どもである自分から見た母を書きました。

でも、母側にもストーリーはあるだろう。

仕方ない、まずは知ってみようじゃないか

聞いた限りだと、母の育った環境はどうやら私の逆。
幼いころから祖父(私から見て)が家に大勢の客を連れて来て、ご飯時もテレビを見たいときも消されて、リビングに酔っぱらった客が来たのだとか。お風呂もトイレもうかうか入れない。そんな家だったらしい。恐らく時代的に祖母は祖父に何も言えず、顔を立てるしかできなかったようだ。

しかし、そんなに人が来る家なのに玄関も洗面所もきったなかった(らしい)。そのうち母が勝手にきれいにしていたんだとか!カーテンもないから外から丸見えだったり、、とにかく色々あったのだそう。

なるほど、、、それはそれできっと死ぬほど嫌な記憶なんだ。ごめんだけど私に全ては共感できない。なぜなら同じものは経験してないし、違う人生をたどった違う価値観を持った人間だから。でもその怒りの熱量から辛かったということはわかるよ。

背景を知ると、、、

ちょっとだけ落ち着ける気がする。それぞれに理由があってその行動に隠された本心がある。
母はたぶん子どもにそんな思いをさせたくなかったのだろうし、自分自身もそう生きたくなかったのだろう。

過去に極端な経験をしてしまったせいで、現在の思考はそれと逆を行こうと必死なんだ。

歩み寄る

たぶん何においてもこんな風に裏には裏のストーリーがある。
ここから先はきっとそれぞれ歩み寄っていくステップを踏めると思う。
話せばいいだけ。お互いに聴く姿勢を持って伝え合い続けるだけ。
でもそれがどれだけ難しいかもわかります。そりゃ宗教、政治、思想が絡んできたらもっともっと粘らないと無理だってことが身に染みる。

きれいごとに聞こえると思うけれど、本当に結局、歩み寄りの姿勢を続ける、諦めない姿勢がいっちばんの要だと思う。

自分ばっかり頑張ってばからしくて、悲しくて、空しいこともあるかもしれないけど、それでも最初はそれが正解なんだと思う。歩み寄ろうとする気持ちはきっと相手にも伝わるから。

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