結局、内向きで意味不明な拘りの強い、意味不明な人間としてこれからも生きて行くのだろうか
意味不明な拘りについて
何か、最近食欲がやけに強い。ちょっとしたリバウンドだろうか。
と言うか、そういう意味不明な事を気にして生きているこのマイナス思考は何なのだろう。
どうでもいい事が気になってしまう。この年齢の男性で、未だに自分の体重を気にしているってどうなんだろう。ただ器の小さい人間なのだろうか。
それにしても気になってしまうのだ。不規則な睡眠とか。
眠ろうと思った時に眠れないで、気が付いたら眠っていたりする。統合失調症の影響があるのだろうけど、そればかり問題視しても仕方がない。
結局、食事とか睡眠とかそんな事を気にしていたりする。あまり意味がない気がする。
ところで、今日は何が言いたいのだろう。多分自分の意味不明な拘りについて、という事を書いているのだろうけど。
言語化に対する拘り
完全に病気だと言っても、自分の場合本当に精神病患者なのであまり意味はない。
例えば、noteのビューとかスキとかそんな事ばかり気にしているというのもどうなんだろうか。最近では、フォロワーさんもようやく一〇〇に近付いてきているが、実際それが客観的にそんなに重要な数字なのだろうか。
改めて言えば、だから何だ、という話になる。
そう言えば、noteに投稿し始めて既に一年が経過した。最近では、自分で思っていたより速いペースで文章を書いている。
それで、その動機は何なのだろう。つまり、文章を書く事に対する拘りだ。
例えば、食欲がどうとか睡眠がどうとかそれを言語化する必要はあるのだろうか。フォロワーさんが増えたとか。
今書いていて気が付いたのだけど、自分は何事も内向きのようだ。自分がそう思えばそれでいいと思っているところがある。
次第に枯れて行く外に向かう動機
結局、自分は他人に心を開いていない。自己完結している。
普段から、あまり他人の事とか考えていない。大概、自分がどうかという事を考えている。
外に向かう必要はあるのだろうかとか、この歳になって未だにその段階だったりする。
この内向きな人格を外向きにする事ができるのだとして、問題は特に自分がそれを望んでいない事かもしれない。最近では、寧ろ内向きに加速しているようだ。
何か若い頃の方が、外向きな人格に変えようという努力をしていた記憶がある。しかし、今となっては反動的に内向きでマイナス思考な人格に戻ってきてしまった。
結局意味不明な拘りの強い、意味不明な人間としてこれからも生きて行くのだろうか。何か、外に向かう動機が次第に枯れて行く気がしているのだが。
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