あるいはステキな週末を

「ああ、今日はせっかくの休日なのに、何も有意義なことができなかったな。」

 雑居ビルと雑居ビルの天辺と天辺で区画された狭い空、倦怠と停滞の堆積した臭いのするポリバケツの傍らに座り込んで吐き出すには些か安穏に過ぎる呟きはしかしながら、その暢気そうな顔で今も確かに私たちの安穏を蝕んでいる。

 やる気のない無能はとにかく退屈している、というのは誰の言葉だったか。世界は狭くなって短くなった。「できる」と思う感覚と「できないけどやる」という心意気が挫かれたなら、彼の楽しみはもはやYouTubeやAmazonの検索アルゴリズムにオススメされるまま、Uber Eatsに配達してもらう他ないのかもしれない。

 先日、マポロ3号先生の『PPPPPP』に触れた。天才のようなものが仮にあるとして、その持ち主が正確にそれを把握し、十全に行使することは彼を幸福にするだろうか。それは金槌であった場合と同じように、一部分そうだとも言えるだろうし、一部分そうではないだろう。

 天才持ちは何だか楽しそうだ。類稀な肉体や頭脳を思うがままに駆使し、凡俗にはおよそ真似のできぬ真似を次々とこなしてゆくのはさぞかし痛快そうに見える。しかし、そう見えることとそうであることの間には花と土ほどの差異があるかもしれない。

 天才の実在は何によって担保されるだろうか。天才を辞書で引けば才能とある。才能を辞書で引けば能力とある。能力を辞書で引けば、何かを成し遂げる力とある。成し遂げること。もし、天才がその成し遂げたことによって遡及的に発見されるとすれば、ここには逆説がある。

 絵の価値は画商によって決まる、というのは誰の言葉だったか。市場価値と道徳的価値は関係がないと言ったのはフランク・ナイトだった。
 いったい、こんにち、何が私たちからステキさを失せさせているのだろうか。むかし好きだったのに、今ではその熱を忘れてしまったということが山の様にある。勝利、賞賛、承認、あるいは小豆や落花生? もしくはそれらの不在。

 人生、山あり、谷あり、モハメド・アリ。想定されるあらゆる反論を蛾のように躱し、麻酔のよく効いた蚊のように刺すとすれば、私たちの問題は今、手放しで楽しいと信じられることが実のところ何一つとして存在しないということだ。

 私たちの持つ時間の感覚、取り分け未来についての感度が原因の一つであることは、モネが芸術であるということと同じくらい間違いないことと言って差し支えないだろう。
 昨年俄かにタイパなる概念が氾濫し、遡上し、俎上に登った。Youtubeの再生数に関する割り合い明らかな要因は長さだ。同じタイトルであれば30分を超えるものより30秒で終わるものの方がより好まれるという。

 このことは私たちの色気の多さや、もちろん道草の食えなさ具合の反映とも解釈できる。が、しかし。もし、私たちの脳が取り扱える未来への時間が今や30秒しかなくなっているとすれば、どうだろう。
 それは私たちの今現在における娯楽の一形態が実質的に喪失されてしまったことを表している。すなわち30年来の将来の夢、そういった未来からの利息とでも呼ぶべき形での楽しみが。

 芸術。そう、芸術だ。稲穂を刈るのには起こり得なかった事態がいま私たちを取り巻いている。苗は積分だった。日々刻々目に見えて育つ。そして芸術には「食ったらなくなるという当たり前」がすっぽりと欠落している。事態は複雑だ。

 現代、私たちのうちの少なからぬ人数が芸術を求められている。生産するにも消費するにも芸術の存在が関所となり、それ自体の価値を筆触分割の眩さの中に放り込んでいる。

 芸術的であることに新しさは欠かせない。私たちの記録や伝承、あるいは成果物そのものが残存することは過去を忘却の淵から釣り上げた。踏ん張ってずれ込んだのは物差しの中心点、未来の目盛は皺寄った。

 事態は複雑だ。私たちの楽しみは今や恩寵に類するものとして受け取ったほうが経済的なのかもしれない。
 noteはその点たいへん良い。この記事にあたって私が筆を執ってからこの方30日は経っているが、書いては消し、考えては忘れの一々には30秒かかると思わず来られたし、書いたものを反芻するのに31秒以上かかるようになったとき代わりに公開される本稿を衆目に晒すことは何か清々しい気分がする。

 暇がつぶせることと、私たちの週末が有意義であることは似ていて異なる。有意義であるかどうかは画商が決めることだ。
 錨を下ろす。私はせめて、今、私が恩寵として受け取ったものが少なくとも現在、現時点で間違いなく有意義なことだったということを未来に向けて、何らかの形できっと残存させておこう。

 一昨年買ったパキフィツムは枯らしてしまった。表紙で買った本と人から教えてもらった本が増えていく。花を飾るばかりが窓辺ではない。卵焼きが上手に巻けるようになりたい。午後からは雪になるらしい。

【主な関連資料】

●マポロ3号(2021-2023)『PPPPPP』集英社
●マイケル・サンデル(2021)『実力も運のうち:能力主義は正義か?』(鬼澤忍 訳) 早川書房
●浅野いにお(2007-2013)『おやすみプンプン』第1巻 小学館

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