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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり  パート20


 『』      作詞 中島みゆき
 
 なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない
 いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない

 どこにいたの 生きてきたの
 遠い空の下 ふたつの物語

 縦の糸はあなた 横の糸は私
 織りなす布は いつか誰かを
 暖めうるかもしれない

 なぜ生きていくのかを 迷った日の跡のささくれ
 夢追いかけて走って ころんだ日の跡のささくれ

 こんな糸が なんになるの
 心許なくて ふるえてた風の中

 縦の糸はあなた 横の糸は私
 織りなす布は いつか誰かの
 傷をかばうかもしれない

 縦の糸はあなた 横の糸は私
 逢うべき糸に 出逢えることを
 人は 幸せと呼びます

 詰所ひのきしんの時に、「」は現真柱さんと親しい中島みゆきさんが真柱さんの結婚の時にお祝いに送った楽曲だという話を聞きました。中島さんは北海道のある天理教会の信者さんだそうです。
 
 今回の修養科では北海道の人と多く出会ったこともあり、その不思議も思ったのですが、若い頃本屋で立ち読みした本に中島みゆきさんについて書かれた本があって、そこに現代の「おふでさき」だという評論があったのをお思い出します。そう言われたらそうだなぁとしか思えなくなる私ですが・・

 「グレートサムシング」で一般にも知られている村上和雄先生も天理教の会長さんという顔も持っておられます。レニンという酵素を発見したり、笑いの効果が健康に薬よりも役に立つと言った説を実証されたりもしました。

 私の若い頃仲間の教友たちと回し読みした「教祖様|(おやさま)」という小説を書かれた芹沢光治良さんも教会に生まれた人でしたが、昔の布教師によく見られたように自分の家族も二の次にして、おたすけに奔走されたあまり子供の頃から貧乏のドン底で、東大に入る時にも書生となった人の援助で学費を工面し、卒業後は外務省に入り、小説家に転身された経歴の方です。
 そのあたりの経緯を「人間の運命」という長い小説にされています。私は一回目の修養科を卒業し彦根で老人ホームの仕事をしている頃、急性アルコール中毒で入院したことがあったのですが、長い時間かけてその本を熟読し間が覚める思いがしたのを覚えています。因みに、入院の当初は絶食で天敵ばかりだったので、最初に食べた重湯の何とも言えない美味しさ・有難さを今もしたが記憶しています。 
 
 芹沢光治良さんは、天理教信者にはなられませんでしたが真の意味での信仰者だったと思います。

 教祖・中山みきさんは信者に神の存在について聞かれた時に「あると思えば在る・ないと思えばない。言わん言えんの理」と説かれたそうですが、それは本当にそうとしか言えないのだろうと感じます。
 
 縁とか絆・・運命とか因縁といったことも、目に見えるものではないし、証明のしようがないあくまで個人の主観に由るものです。しかし、誰もそれを否定することもできません。
 
 どんなに科学が進歩してもそこにたどり着くのは不可能だろうと感じますし、それを目指すのは人間の傲慢のように私は思います。

 ソクラテスが「無知の知」を説いたように、私たちは「何も知らない」のだし、たとえ何かに気づいたとしてもそれは「そうかもしれない」と締めくくる以外ないように思えます。

 コロナ禍を経て未だに終わりを知らない戦争や紛争、世界的な自然災害など人類の未来が暗闇の中にいる「」私たちは宗派・信仰や価値観・思想を超えて真の意味で互い立て合い助け合う陽気暮らしの社会を実現しなければならない時なのでしょう。

 今回は、私の修養科生活を離れて余談になりましたが、二回の修養科で身に着いた私の生活信条をお話しできたように思います。また、未信者や教外の方にも理解しやすい内容になったのではないかと言い訳します。

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