遊歩

俳句や小説、絵も描く遊び人です^^。精神障がい者で年金暮らしですが、新聞配達のバイトし…

遊歩

俳句や小説、絵も描く遊び人です^^。精神障がい者で年金暮らしですが、新聞配達のバイトしながら創作活動しています。noteを勧められて書きためてた小説を発表したいと思っております。慣れないものですが、よろしくお願いします。 本名は「足立光隆」63歳。遊歩は俳号・画号です。

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  • 懐かしい未来

    シャンタン仙人との、敦賀「もんじゅ」へ浄化の旅を小説化しました。 「事実は小説より奇なり」という内容ですw  紀行文としても楽しめると思います。

  • おやさまたより

    私の信仰する天理教の二度にわたる修養科の体験をエッセイにしました。

  • 公衆電話

    統合失調症を発症して入院した1ヶ月の体験を基にした小説です

  • 実験小説・スパイラル

    私が若い頃に電車の中で体験した武勇伝?を基に初めて小説を書き上げることが出来た記念すべき処女作です。

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 魔法使いの弟子   1  その人は「シャンタン」と呼ばれることが多かった。それは平和を意味するサニヤスネームだそうだったが、サニヤスネームというのはインドの覚醒者で晩年日本の禅とのかかわりで「OSHO」と称された人の弟子・サニヤシンに与えられたミドルネームだった。  普通にシャンタンさんとか、シャン爺とか、単に爺ぃとだけ呼ぶ人もいて本名で呼ぶ人はほとんどいなかった。  シャンタンは若い頃は映像作家として活躍し、事業家としてもディスコの先駆けだったりプロジェクトマッピング

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    • 懐かしい未来

      魔法使いの弟子  12  午後も遅くなり、車に積んで持ってきた「平和の水」の爆弾セットも残り少なくなった頃、シャンタンは気力を振り絞るように言った。 「もう今日はモンジュまで行くのは無理そうだね。引き返して最初にやったあたりで最後の挑戦をして、帰ることにしましょう」  私もその方がいいと賛成し、色ヶ浜まで戻ると道端に車を停めて、最後に残ったボトルを持って海辺へ歩いて行った。  何となく、水島まで歩いてでも行けそうな気がした。

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        魔法使いの弟子  11  色ヶ浜からいよいよ浄化は始まった。  敦賀湾に面したこの浜は、水も美しいと評判で、砂の小島二つからなる水島を眺めることもできた。  シャンタンは既に、「かなりキツイ」と言って、身構えていた。 恐らく、旅に出る前から今回の相手がどういうものであるのか、ハッキリ分かっていたのだろうと思われた。  というのも、先に触れたように出発前に今までにないほど大量に「平和の水」を、大型の焼酎やウイスキーのペットボトルの容器に入れて用意し、車に十数本も積んで来て

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          魔法使いの弟子   10  日本は本来、今は裏日本と言われる日本海側が表玄関だったのだそうだ。地図を普通に見るのとは逆にして、中国大陸の方から眺めると、そのほうが扇が開くように自然に見える。  若狭の海が見えた。  敦賀の港が大きく広がっている。伊吹山辺りで反転したように錯覚した私の方向感覚が、なじみの地に戻ってきたような安心感に替わった。  「氣比神宮」は、北陸道総鎮守越前一宮として、古くから知られ、荘厳で深い静寂に包まれた神域だった。

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          魔法使いの弟子  9  伊吹山は古くから信仰の対象となり、人々に崇められてきた霊山だった。  今でもその威容は他の景色からは抜きんでて見えるのだったが、乱開発によるものか、土砂崩れなどしていて痛々しくも見えるのだった。  その山麓まで来たとき、シャンタンは当然のように、具合が悪いと言って後ろのシートに横になって倒れ込み、しばらく動けなくなってしまった。  他人がどんなに批判しようとも、シャンタンと一緒に行動し、その一生懸命な姿を目にしていると、彼がどんな理解しがたい言動

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          魔法使いの弟子  8  関ケ原で、天下を二分する戦乱は、過去二回あった。    シャンタンは、関ケ原で「高速を降りよう」と、言った。 「黒血川」は、古い時代の方に起きた戦の時、兵士たちの流した血で川が黒く見えたことから付いた地名だったという。  関ケ原も中山道の宿場の一つであり、町全体が古戦場の記念博物館のようになっていた。かつて流された多くの兵士たちの血や、残された家族の流した涙は、何百年も経って町の観光資源になっているようにも思われた。  しかし、シャンタンは、「消

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          魔法使いの弟子   7  その旅は、瑞浪インターから高速に入り、関ヶ原で下道に下り敦賀を目指す旅となった。    が、中央道に入って間もなく土岐市を通過すると、シャンタンは言葉少なくなり、後ろのシートに体を横にして寝込んでしまった。  アインシュタインは、少年の頃の夢うつつに光の速度に追いついた自分のビジョンを、その後理論化するまで追求し、現代の科学を切り開いた偉大な天才科学者ではあるが、人生の後半には自信の理論の影がついて回ったと伝記本で読んだことがある。  第二次世

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          魔法使いの弟子   6  ある時、大量の「平和の水」を用意して敦賀にある高速増殖炉「もんじゅ」へ浄化に行こうと、シャンタンは私に言った。  そして、春浅く肌寒い日、夜明け前に出発した。薄曇りの日だった。  シャンタンは、高速道路より国道、国道より一般道、それも生活道を好んだ。確かに言われるように道を換えて走ると、途端に自分にも、その違いが分かるように感じた。  土岐川が恵那の夕立山を源流として、愛知県に入ると庄内川になり、伊勢湾に注ぐ流れだったように、道もまた不思議な

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          魔法使いの弟子   5  シャンタンは、出会った当初から、磁場調整というのをライフワークの支柱の一つにしていた。  そのやり方は、その時その場所によってどんどんと変化していったが、ヴァガバン経由の「平和の水」を用いて、それを進化させる経緯によって行われた。  ヴァガバンという覚醒者は、生れた時から人間の持つ苦しみという感覚を理解することが出来ず、世俗に赴いてそれを味わうために教師という職業に就くことから始めて、自分の教えを広めていいった人だという。  インド人というのは

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          魔法使いの弟子  4  シャンタンは何かにつけ、私の窮屈な性格を指摘し、瞬間に寛ぐようにと助言してくれた。  シャンタンの瞑想はOSHOやヴァガバンから伝授されたものではなく、自分が縄文時代にやっていた瞑想法を思い出したと言い、丹田を中心にして体を揺らしたり回したりして緊張を緩めていくことから始まるものだった。  ワークショップの時などは参加者全員を円陣にして行った。 シャンタンの名前が示すように、その輪には穏やかで平和な静けさが広がって行った。  私も何度かその瞑想

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          魔法使いの弟子  3  私は生来天邪鬼でヘソ曲がりな一面もあったが、素直な性格も強かったので、言われた通りマイ箸置きを持参して、シャンタンの家で弁当を食べさせてもらうようになった。  シャンタンはまた、自分で料理を作るのも得意で、それを振舞い一緒に食べるのも好きだった。  すき焼きやカレーなど一風変わった料理の仕方で、中に入れる具材もバナナが入っていたりしてビックリさせられた。食べるとそれが美味しかったので二度びっくりした。    町で食堂やカフェ、レストランを食べあるく

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          魔法使いの弟子  2  引っ越し当日は何人かの人が手伝っていて、東京でシャンタンが居候している弟子のような人やこの地方を紹介した人たち、大家さんもいてアットホームな雰囲気で私も緊張がほぐれた。  特にシャンタンを慕っているらしい私と同世代の男女が甲斐甲斐しくそれもテキパキと世話をしていた。  体もどっしり大きかったが、それ以上に私を圧倒するような存在感のある二人で少々気圧される気もしたが終始これからもよろしくと声をかけられた。  大柄の男の人にはハグどころか体を持ち上げ

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          私の天理教修養科ものがたり  パート21  二回目の修養科は冬の時期だったので、朝の神殿ひのきしんなどはとても寒く暗く人も少ないのでかなり大変ではありましたが、そこは皆で力を合わせて出来るペースでこなしていった感じでした。    長期ひのきしんはお茶所の係になり掃除や接待の手伝いなどを交代しながら勤めました。そこでは別のクラスや違う期の人とも話が出来たりしました。  時期も年末年始に丁度当たっていたので、おぢばでの年越しとなりました。暮の押し詰まったころ新年からの修養科生

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          相変わらずの気ままな親父の「みのほど配信」です。 シャンタンとの敦賀「もんじゅ」への浄化の旅を基にした小説の原案が完成目前になり調子にのって朗読しました^^

          幸せへの選択 🌈

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          私の天理教修養科ものがたり  パート20 『糸』      作詞 中島みゆき    なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない  いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない  どこにいたの 生きてきたの  遠い空の下 ふたつの物語  縦の糸はあなた 横の糸は私  織りなす布は いつか誰かを  暖めうるかもしれない  なぜ生きていくのかを 迷った日の跡のささくれ  夢追いかけて走って ころんだ日の跡のささくれ  こんな糸が なんになるの  心許なくて ふるえてた

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          私の天理教修養科ものがたり  パート19  一回目の修養科の時は、天理教に反発しながらもストイックに修養生活を受け入れて努力をしましたが、二回目は信仰心が強くなった半面いろんな精神世界の人との付き合いも増える中で自分の欲や高慢をも認めるような立場から、修養科生活に自分の信仰を確かめるような気もちで試行錯誤をしていた違いがありました。  二回目の詰所生活は修養科生も少ないという事もあったし、自分と同年代か年下の教養掛の先生ばかりだったので、自ずと指導や監督というより自主性に

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