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「決めつけてくる人」からは離れよう

 おはよう!今日も書いていこう。

 今日は、(実際は違うのに)「自分の頭の中にあるものだけで世界を理解しようとする人がいる」ということについて書いていきたい。

 誰かが何かの行動を起こしたのを見たときに、
⇒「あの人はあのように行動した」
⇒「自分であれば、あのように行動するのは◯◯という理由からだ」
⇒「ということは、あの人があのように行動したのは、(自分と同じ)◯◯という理由によるものだ」
と、理解する。そう、決めつける。

 そうした自分の決めつけが実際に正しいかは検証せず、自分がこうだから、他の人もそうに違いないと思い込んで、そうでない可能性は考えない。そういう人が苦手だ。

 私は、「これはこう見えるけど、本当はこうなのかもしれない」「あの人からしたら、実はこうなのかも知れない」などと色々な角度からものを眺めるほうをお勧めしたい。

 「これは、この人からみたら正しいことかもしれないけれど、別の人から見たら全然正しくないかもしれない」
 戦争が今もなくならないのも、お互いに自分が正しいと信じて疑わないからだ。もっとお互いを、理解し合おうとする努力が必要だ。

 勝手に決めつけて、それを信じて疑わない人は、自分の外の世界から何かを吸収することがないので、その人の世界も一向に広がらない。

 私はいままで、こうした人を見るたびに、この人はどうしてこうした考え方をするのだろうかと、疑問だった。自分の中にある、自分の考え方の範疇に、世界の物事が収まっていれば安心する、という心理なのだろうか。

 「自分のなかにある考え方以外にも、色々な考え方がある、ということを知らない」、または「そうしたこと(自分とは別の考え方があるということ)を知る、という経験がない」のか。

 どちらにしても、あまり近づかないほうが良い、というのが私の結論。
 「もっとこんな考え方もあるよ」「これは、本当はこうかも知れないよ」などと言ってみることもたくさんあるが、それでは人は変わらないようだ。誰かに言われたことよりも、自分の考えを信じて疑わない。それだけ自己愛が強い人・自信がある人なのかも知れない。
 私としては、そうした人のことも理解したいけれど、相手もそう思ってくれるかは別のこと。救おうなどと思うのはお門違いなのだ。

 あるいは、「あの人はこういう人なのだ」ということにしたほうが自分に都合が良いので、そういうことだと決めつけて進めていきたい、という思惑があるのかも。

 いずれにせよ、それぞれに自分の人生がある。その人が今のままで幸せに生きているのなら(その人のなかにある考えが間違っていようが・世界が狭かろうが)良い。

 そういう人の心理がすごく理解しがたいのだけれど、他人の心配をするよりも、自分は自分の人生をより良いものにするよう努めよう、もっと自分に目を向けよう、と思ったのでした。

「世界には色々な考え方の人がいる」
「色々な考えを持つ色々な人を、そのままで受け止める(受け入れはしない)」
「自分には色々な考え方・ものの見方を取り入れていく」
「その上で、自分を一番大事に考えて生きていく」。
 
 こういうことを大切にしたい、というお話でした。

 最後まで読んでいただきありがとうございました!

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