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ぎ朝散歩

気づいてしまった。こいつは、すげえや。これを朝にやるだけで、1日を最高の始め方で迎えられる。

タイトルでもうネタバレしちゃっているが、それは朝の散歩だ。以前の記事でも書いたように自分はよく散歩しているが、朝にもするようになった。

理由としては、修士論文のためだ。研究の修正点が見つかり、「やべえ、これは張り切ってやらないと、間に合わないぞ」ということで、朝歩いて大学に向かうことにした。

朝に軽く運動するだけで、その日のパフォーマンスが高くなるという話を小耳にはさんだので、試しにやってみたわけだ。今日で、始めて1週間ぐらい経つかな。早寝早起きし、朝7時〜7時半ぐらいに家を出る。

「今日は、だりいな」と、朝起きた時に感じることもある。大学まで歩いて30分ぐらいかかる道のりなんだけど、「わざわざ貴重な30分を、散歩に費やす必要はないのでは?」と、思うこともある。だって、往復すると1時間だ。24時間のうちの1時間は、意外に長い。睡眠で、7時間は消えるわけだし。



それでも、とりあえず歩き始める。

肌寒い朝。吐く息が白い煙のようで、息を吸えば冷たい空気が肺に流れ込む。朝日が、まだ目覚めきっていないこの町を、明るく照らしている。

車通りの多い道をしばらく歩くと、山道へと分かれる分岐点がある。大学院生になってから、発見した道。自然がそのまま残された山道で、ここで生命の息吹をいっぱいに吸い込みながら、歩を進める。

となりに生えている立派なアカマツは、いつからここにいるんだろう。どれだけの人を、ここで見守ってきたんだろう。何も答えてくれない。強くたくましく生きていることだけが、伝わってくる。


遠くの景色に目をやると、太陽に照らされて輝く山腹が見え、あまりに美しくて思わず息をのんでしまう。こんな幸福な瞬間が、あるだろうか。


そのあとは、アスファルトに舗装された道に再び合流する。細い道なので、車もほとんど通らない。静かな時間が流れる。

ふと、視線を上へ向けた。底抜けた空と、そこに浮かんでいる雲。「空はどうして自らの青さに耐えられているんだろう」みたいな詩を、谷川俊太郎は書いていたけど、その詩の意味がわかったような気がする。そして、雲をこよなく愛していた作家のヘルマン・ヘッセはこの雲をみて、どんな言葉をもって言い表すのだろう。


そうこうしていると、大学が見えてきた。いつものように、目にしてきた景色。そっか。この場所も、もうあと少しだけなのか。ここで何を学び、何を忘れてしまったんだろう。あるいは、何を得て、何を失ったんだろう。

そんな追想にふけりながら、僕は大学についた。そうして心が満たされた状態で、1日が始まった。


これが僕の、最近の朝の過ごし方。



夜の帰り道はね、星空がきれいだよ。流れ星にも、よく出くわす。


修士論文が無事に終わりますように
修士論文が無事に終わりますように
修士論文が無事に終わりますように





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