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他人との相対座標で人生の良し悪しを決めない。

自分の就職先がイジりの対象になることが何回かあった。イジられたというよりも、バカにされたと言ったほうが近いかもしれない。

たしかに、僕が入社する企業は知名度もないし、規模も大きくない。有名企業に行く周りの人たちからイジられるのも、仕方がないことなのかもしれない。

けれど、この感情はなんていうのだろうか。


屈辱的。そう、それだ。屈辱的だ。

それと、自分がとった人生の選択への疑心。


だからどうしたというのだ。

君は他人の意見にいとも簡単に振り回される、こんにゃく野郎なのか。

後ろめたさを感じるのは、他人と比べて自分の人生の良し悪しを判断している証拠ではないか。


君は相対座標で、自分の人生を判断していなかっただろうか。

$${\boldsymbol{r}}$$を座標としたとき、


人生の出来 = $${\boldsymbol{r}_{自分}}$$ - $${\boldsymbol{r}_{他人}}$$


というように、他人の人生を基準点にして、自分の人生を見ていなかっただろうか。

それではいつまでたっても、誰かと自分を比較して、欠乏感を感じ続ける生き方になるだろう。


それよりも、過去の自分を基準点にして、今の自分を評価しよう。


人生の出来 = $${\boldsymbol{r}_{現在の自分}}$$ - $${\boldsymbol{r}_{過去の自分}}$$


というように。


昨日の自分よりも数cm進んでいたのなら、それはとてもすばらしいことだ。

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