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あっ、合コン無理かも

社会人の出会いとして、「合コン」というものは、どれぐらいの割合を占めているのだろうか。

まだ社会人になっていないので、よくわからない。ドラマとかでしか、合コンの雰囲気を知らない。インキャなので、大学時代にも行ったことがない。合コンの「コン」がコンパを指していることも、いま調べて初めて知った。

3対3ぐらいの人数で、男女が向かい合い、ご飯を食べながら話をする。


想像しただけで、自分が苦手そうなシチュエーションだ


そして昨日、その疑いが確信に変わった。

それは、研究室の忘年会でのこと。



個人プレーが多い我が研究室でも、忘年会をすることになった。

理論系の研究室は、基本的に一人で黙々と研究を進めていく。実験系と違い、好きな場所、好きな時間に研究していい。研究室にほとんど顔を出さず、どんな人柄なのかよくわからないまま卒業した先輩もいた。

そして困ったことに、詳しい事情はわからないが、研究室内の先生たちの仲があまりよろしくない。理由も聞けない。触れてはいけないという、暗黙のルール感。


そのため、研究室内でやるイベントが少ない。ゼミ合宿なんてのもない。

だけど最近、東大から来られた新進気鋭の若い先生がいて、その先生のもとにつく学生がエネルギッシュなので、研究室内の交流も増えてきた。

その若い先生についている僕の1個下の後輩が、「飲みたいっすね〜」と目を輝かせながら言ってきた。周りの人たちの予定を聞いたところ、数日後には帰省する子もいる。それで急遽、忘年会を決行することになった。この1個下の後輩が、すぐに電話で居酒屋を予約してくれた。


大学生がよく行く、コスパ最強の居酒屋へ。

予約を確認され、空いているテーブルへ案内される。参加人数は6名。

「できれば、端っこの席に座りたい」そう心の中で願う。

過去の記事にも書いているが、僕は飲み会の時、端っこに座りたい派だ。理由は、真ん中の席だと、会話を回さないといけないプレッシャーを感じるから。

面と向かい合い、しかも人数が多い中での会話は、僕が特に苦手とすることだ。5〜6人ぐらいから、発言量が極端に少なくなる。なぜかはわからない。似たような人はいるのかな。

だけど、その願いも叶わず、僕は真ん中の席に座ることになった。神様が、「苦手なことから逃げてないで、克服しなさい」と、背中をつついているような気がした。よし、役割をまっとうするぞ。



「今年も1年、お疲れ様でしたー」と、乾杯の音頭おんどがとられ、忘年会が始まった。

すぐさま、僕の隣にいた人が会話を切り出す。勇気ある切り込み隊長だ。サッカーで、ボールをもって、サイドから駆け上がるみたいだ。そうだとすると、僕は真ん中にいる、司令塔的なポジションになる。



最初に始まった会話が、もうすぐ終わってしまいそうだ。ここで誰かにパスをして、話を振らなければいけない。なぜならもう一度言うが、僕は司令塔のポジションだからだ。パスをしないのであれば、自分でボールを持ち運んで、誰かの得点の起点を作らないといけない。


だが、口をなかなか開くことができない。


「何をやっているんだ」

「早くパスを出すんだ」

「パスをしないのであれば、何か自分から話を切り出せ」

「なぜお前はそこの場所にいて、何もせず、つったっているんだ」

「司令塔のプレーをしろ」


心の中で自分に喝を入れても、動けない。完全に萎縮している。



痺れを切らしたのか、向かい側の真ん中の席にいた、居酒屋を予約してくれた例の1個下の後輩が、ボールを回し始めてくれた。

まだ話せていない人に話を振ったり、話題を広げたり、ところどころで面白い話を入れたり。このテーブルのテンポを、操っている。うまい。そして申し訳ない。負担をかけてしまっているのが、自分でもわかる。

喋れてなかった僕にもパスをくれた。司令塔の役割を放棄した自分にも、パスをくれるとは。挽回のチャンスだ。



だが、僕はボールをただこねただけで、せっかくできていた良いリズムを止めてしまった。ボールを長く持ったのに、誰にもパスを出せず、会話が途切れてしまったのだ。


この調子では、合コンで大敗を喫するだろうな。

出会いの選択肢のひとつを、失った気がした。


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