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道草を食う化学の先生

物理学を専攻し、理系の記事を書いたりしているけど。

僕が科学に興味を持ったのは、高校時代の先生の影響が大きかったと思う。

化学を担当していたご高齢の先生(還暦も超えていた)で、特徴としては授業中によく話が脇道に逸れること

教科書には載ってない科学にまつわる面白い小話を、しょっちゅうしていた。黒板にあれこれ書きながら。

それもすごく嬉しそうに。



「にがり」にはこの元素が入っているとか。

なぜパンケーキは膨らむのかとか。

凍らせたカルピスは、最後の方になるにつれて不味くなる理由とか。



雑談が多いと、当たり前だけど進むペースが遅い。

だから、学期末になると補講を入れたりして、やるべき範囲までなんとかギリギリに終わらせることもザラにあった。

雑談は控えて、もっと受験に役立つようなことを教えてほしいという人も、クラスの中にはいた。

たしかに、話があっちこっちに脱線するのは、受験にとっては非効率なことなのかもしれない。



だけど、僕はこの先生の雑学の話が好きだった。

「今日はどんなことを話してくれるのかな」

それは、高校生活のひそかな楽しみになっていた。



そしてその先生の影響を受けて、地元にある図書館の理系の本を、読み漁るようになった。ブルーバックスの本とか、図鑑とか。

「先生が説明していたあの話について、もっと詳しく知りたいな」という純粋な好奇心。

先生の授業みたく、受験勉強から脱線して、教科書の範囲を超えた内容の本を熱中して読んでいた。

その本を読んだところで偏差値は上がらないけど、あの時間は至福だった。イヤイヤやらされている感のある受験勉強とは違って、興味の赴くままにする勉強は楽しかった。



月日は流れて。

お盆休みに帰省し、当時よく行っていたその図書館を久しぶりに訪れた。

当時お世話になっていた、数学・物理・化学に関する書物が並んでいるコーナーへ。

気になったものを手に取る。量子力学に関する本。

分からないことだらけだったあの時と比べて、理解できることが増えた。もちろん、全てではないけど。


元素図鑑も気になったので、パラパラ開いて読んでみる。写真がとても美しい図鑑。

そして、あの時とは違った観点で元素図鑑を見ている。金(Au )がなぜあの色の光沢があるのかも、より深くわかる。



研究でやるべきことに追われていると、科学に対する本来の好奇心を忘れてしまいがちだけど、図書館に来て再び科学の面白さを思い出した。

時には義務感から離れ、道草を食うことは生活に潤いを与えてくれるのだと思う。

子供の頃を思い出してみると、一見しょうもないけど実は面白そうなことに、首をよく突っ込んでいた。(蚊をはたくには、横からがいいのか、それとも縦からがいいのかとか。)

そしてそれは、自分なりの新たな発見に繋がったり、深い意義を感じられる時間になったりしていた。



化学の授業を担当していたあのご年配の先生は、そうやって時には脇道に逸れる醍醐味も、教えようとしていたのかもしれない。

ただおしゃべりが好きなだけだったのかもしれないが。

真相は分からないが、この先生にはとても感謝している。


代わりに、理系の記事も書いてほしい。間違いなく伸びると思う。




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