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2種類の幸福

昨日、修士論文発表会が終わった。

昨日の朝、大学まで歩いて向かう途中、この3年間の研究生活を振り返っていた。


この3年間、率直にいうと、しんどいことやつらいことだらけだった。朝起きて、「今日も研究、楽しみだなあ」と思ったことなんて、数えるくらいだ。「あそこのとこ、本当にうまくいくんだろうか」と、不安な気持ちで大学に向かう日のほうが、圧倒的に多かった。

リスクをとって理論物理(大変だと言われていた)の研究室を選んだけど、ものの見事に苦しんだ。挑戦に失敗はつきものだと、言葉ではわかっていたけど、実際に自分がその立場に立たされたら、その現実をなかなか受け入れられなかった。

プログラミングも研究室に入った時は全然できなかったし、自分が理論向きではないこともわかっていた。求められるレベルと自分の今の現状とに大きなギャップがあって、安心感とか安定なんてものは、この3年間にはなかった。

友達とテニスをしたり、プールへ泳ぎにいったりして気分転換をしても、心のどこかで、研究に対する不安がつきまとっていた。


最初のうちは、なんとかこの苦痛から逃れることを考えていたけど、途中からは苦しみを受け入れることにした。「どうせ逃げられないなら、いっそのこと受け入れてしまおう」と開き直った。犠牲にしたものも多かった。

特に、最後の1ヶ月は。この3年間の中で最もしんどかった。そして、修士論文の締め切り日に、朝歩いて大学に向かって見たあの景色は、これからも忘れないと思う。大学が朝日に照らされ、黄金に輝いていた。これまでの苦労を振り返りながら、あの景色をを見ていると、目がうるっときた。

もがきながらも頑張ったここまでの軌跡をたどると、深い幸福感が全身を満たした。美味しいものを食べる時や、友達と一緒にゲームをして楽しんでいる時のような、快楽的な幸福感とはまた違った類の幸福感。



幸福には、「快楽的な幸福」と「意義ある幸福」の2つの種類があるらしい。

前者は「いま楽しい時間を過ごしている」という幸福で、後者は「あとで振り返ったときに、有意義な時間を送った」と感じられる幸福。今回感じた幸福は、後者の方。


前者の幸福はわかりやすい。一般的に想像される幸福というものは、こっちに該当することが多いと思う。

後者の幸福には、苦しみや困難がくっついてくる。そういったものが全くないと、意義や意味を感じられないから。苦しい経験を乗り越えたから、深い充実感を味わう。楽しいことだらけでは、感じることができなかったであろう充実感。

そういえば、名作映画とかにも、主人公が必ずといっていいほど、苦境に立たされる場面がある。ネガティブな要素が、ストーリーに組み込まれている。「その苦しい時期を経て、自分の人生に大きな意味を感じる」という、映画の終わり方が多い。


できれば苦しいことから逃げたいと思いがちだけど、それがあとで、意義を感じられる人生につながるなら、人生に苦痛はある程度(耐えられるレベルという意味)必要なのだと思った。




えーっとですね。

実はここまでの文章を書くのに、とても苦しかった。どうやって説明しようかと頭を悩ませながら、書いていましたので。書いていて、快楽的な要素は全然なかった。けれど、書き終わったあとの充実感はあったよ。

読者にとっても、有意義な内容になっていることを願うばかりです。


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