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n回目の向かい風

逆境、ピンチ、困難。

それらは、人生のある場面で必ず訪れる。一生のうちに、何度も経験するものだと思う。

ここ1週間は、生きた心地がしなかった。昨日の記事でも書いたけど、研究で問題点が見つかって、修正しないといけない羽目になった。理論研究なので、調べたい物質の状態が出てくるように、モデルを考える。だがしかし、これまで研究していたモデルでは、その調べたい物質の状態がそもそも、全然現れないという緊急事態が発生した。

そして担当教員の指導のもと、修正を重ねて、何とかその物質の状態が現れるモデルを見つけ出すために、出てきたデータとにらめっこする日々。プログラムも新しく書く必要があり、「この時期にこれはさすがにやばくね」と思いながら、格闘していた。


締め切りが迫るプレッシャーと、「結果が出ないかもしれない」という不安から、ここ1週間のストレスレベルは、超超超最高潮に達していたと思う。メンタルがやられてしまわないように、早寝早起きをして、朝大学に向かう時は歩いて行った。朝ちゃんと日光を浴びて、軽い運動をすることで、メンタルを整えられると、本で読んで知ったので。

6時半とかに家を出ていたので、夜明け前の道を歩いて大学に向かっていた。歩きながら「あれ、日の出ってこんなに綺麗だったっけ」と、気づくこともできた。


「結果が間に合って、本当に卒業できるのかな」という心配を、担当教員に打ち明けると、微笑みながら「大丈夫でしょう」と、全然焦っていない様子。「なんでこの人は、こんなにも動じていないのだろうか」と思いながら、言われたアドバイスをもとに、研究を修正していく。

先生の頭の中には、うまく結果が出てくる予想がついていたのかもしれないけど、それを僕が、先生が想定しているレベルまで持っていけるかは、別の話。不安でたまらなかった。「たのむ、うまくいってくれ」と祈りながら、計算結果を待っていた。



そして、その計算結果が今日はき出されて、それを見ると、なんとその例の見たかった物質の状態が現れているではありませんか!控えめに小さくガッツポーズ。まだ、このデータをまとめる作業が残っているから。だけど、結果が大丈夫そうなことは、確認できた。「あっぶねぇ」と、安堵のため息。それと、先生の予想していた結果になった。さすがプロだ。信じてついていって、よかった。


心配事の9割は起こらない


この言葉を耳にしたことがある。ほとんどのことは、取り越し苦労で終わるそうだ。

僕も、これはあながち間違っていないと思う。24年という短い人生だけど、振り返ってみて、心配していたことの大半は、実際には起こらなかった。起こったとしても、後で何とかなった。そして今回の件もまた、その説を裏付けるひとつの証拠になった。


僕の指導教員は、ご年配の方で、教員の歴も長い。今回もそうだったけど、研究の心配事を相談すると、「あなたならできるでしょう」と、楽観的な反応をされる。「わかりました、がんばります」と言いつつ、僕の心の中では、「そう言っても、今回はほんとに危ないんだって!」と思っているけど。

なぜこの先生が、いつも落ち着いているのか、わかった気がする。この先生もこれまで、たくさんのピンチがあったはずだ。僕みたいに修士研究の時、研究者としてのポストを得るために、研究結果を何としても出さないといけなかった時。あるいは、受け持っている学生の研究が全然進んでおらず、その子の卒業が危うかった時。

それらのピンチを切り抜けた経験があるから、あの落ち着きがあるのかもしれない。そういえば、年齢を重ねるほど楽観的な性格になっていくという話を、何かの本で読んだことがあるが、まさにそれだ。逆境にあっても、それを上手く乗り越えた経験が、年を重ねるにつれて増えるので、それが楽観性につながるのだろう。

『トムソーヤの冒険』で有名な、作家のマーク・トウェインも

私は老人だ。これまで山のような心配をしてきた。
そのほとんどは実際には起こらなかったんだがね

という言葉を残している。



これからもピンチは何度もやってくるのだろうけど、そのつど、何とか切り抜けるのだろうと思う。そして、その経験が増えるほど、「困難な状況でも、自分は乗り越えられる」という自信につながっていく。

そう考えると、向かい風は大歓迎だ。nが増えていけばいくほど、強くなれるから。


ふう。だけど、修士論文を書く作業は、まだ残されているぞ。向かい風は、まだまだ吹き荒れそうだ。


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