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おんがくをかくかくをかく

まあ人生はかくも容赦がない。
大切な存在を相次いで喪い、そういう年齢なんだわそうなんだわしゃあないんだわと自分を納得させてひいこら生きてりゃすぐさま災害、畳み掛けて どう考えても修行ですか?みたいな家族問題を背負ってしまったいまここなハイ、五十代半ばバツあり独身女です(親の介護と義理兄弟の同居付き)。
ああ自己紹介が終わってしまった。

それでも私は、この半生を愛している。
高校の面談で 「あ、アタシ歌手になります」って真顔で言い放ち、担任の先生と母親をコントみたいにずっこけさせたが
その後働きながら続けたバンド活動も、生活やメンバーの変化に伴って趣味レベルになっていった。結婚は2回、もうしないだろな、たぶん向いてないし今更抱えてるもんを誰かにすこし持ってもらうとかシビア過ぎる。その前に歳を喰らいすぎたわ。
歌はずっと歌っている、カラオケだけど。時々文章も書いている。 

自分の毎日が余りにわあわあと騒がしくて、もう生活生活また生活、転んだ次はぶん殴られるくらいにめちゃくちゃハードモードなことだけを繰り返していたら、歌っていても書いていてもそこからはやっぱりなんとなく離れて生きていた。
米津玄師すごいね、King Gnuもすごいね、中島みゆき氏はやっぱり生涯私の脳を混ぜ返すわと 今やっていることと言えば、
布教活動 と称して 月イチくらいにどこか店のお客さんやオーナーの前で 独善的にうたう
いいうた の披露。知ってほしい、なんなら誰かの人生のちからになったら嬉しい
そのために まずはある程度歌えねばならぬ、と隙間の時間で いいうた を取得し、自分なりに練り上げること。押し付けまがしさこの上なし。
そんなわけでSNS動画はよく観る。


米津漬けだったこの数ヶ月

SUPERBEAVERを知ってしまった。

漁り聴くうちに
あかん、ファンクラブに入ってしもた。たった数日間にだ。生まれてはじめてだ。

きっと特別なことは歌っていない。
びっくりするようなメロディーでも 、コンセプトでも、売り方でもない。
だけど 特別ではないことを、わたしはしていない現実だと撃たれた。

信じること。

だれかを 自分を 世界を。

特別ではないのに、己可愛さに信じないでいりゃ楽だから 
私は後悔と言い訳をする。

やだ、SUPERBEAVERさん
まだあなた達は若いのだよ、と時々思ったりしながら、亡くなった大切なひとたちの記憶をずっとスライドショーされる羽目になった。
私は果たして 信じて愛したか。
彼らはもういない。聞けない。
いや、健在でも聞けない。
私なりには信じた。愛した。
それで良かったか。答えはない。

もう存在しないひとを思うとき、ひとは己を責める。
それでも生きていくしかなくて、自分で自分のアタマをううわぁあって振り回す。
なに、どれ?どこ?どうする?合ってる?ちがう!?間違えた?ああもう、行くしかないかやるしかないか、行ったれ!あー!違ってた!!
ただただそうやってる。とっくにいい大人なのに。

そういや亡くなった彼は
座右の銘は「反省はするけど後悔はしない」だ、って言ってた。
らしいよね、って思ってたし、間違いなくそういう人生だった。
破天荒を絵に描いたような濃いあの生き方を、私は眩しく見ていた。彼は嫌われたし愛された。
私はまだ、そんなふうになれていない。
最近サマセット・モームの「月と六ペンス」
を今更ながら読了したけど、つまりああいうことだ。

SUPERBEAVERの
「東京」を聴きながら そんな彼が愛されていてほしかったことを また思い出してしまった。
私にではなく、わたしだけにではなく 彼がまわりから、社会から、もっと愛されていてほしかった。
「人として」を聴きながら 気が済むまで信じたか、を自問してしまった。

泣いた。

いいうた
としてだれかにSUPERBEAVERさんのうたをお伝えするには、まだまだまだまだ私の技量は足りない。なのでまだまだ練り上げるのだが、ここで文章を書くに当たり、
シナロケとかウィルコ・ジョンソンとかジャニスとかシオンとかブルース全般とかパンクとかmichelle gun elephantとかARBとかロッカーズとかスカタライツとか富士夫ちゃんとかとかとかとか
諸々聴いてきたヘンな女が 
いまSUPERBEAVERのことばとうたとギターとベースとドラムとに
撃たれまくって全身弾跡だらけである、
のに自ら両手拡げて向かって行ってる状況を
お知らせする要らんお知らせなのであります。

また歌うことと、
そしてここ最近よりもちゃんと書こう、
という欲を掻き立てるSUPERBEAVER 

恐るべし。














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