「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(5・最終回)

前回からずいぶん時間が経ってしまった。今回が最終である。

これまで記したように、西岸良平氏はプライベートは極力公表しない。
それでも、メディアで公表された情報はある。ここに集め、年代ととも紹介したい。
1947年世田谷区出身で、その後一家は練馬区に転居している。1963年立教大学附属新座高校に入学し、1966年立教大学経済学部に入学。大学入学後、マンガ研究会を創設し、別の専門学校の学生だった木村泰子氏と出会う。在学中は共作もしている。
1970年大学卒業後、プロ漫画家として活躍しはじめる。どこかの時点で木村氏と結婚。1974年に「三丁目の夕日」をスタートさせた。この間、「タンポポさんの詩」(1977年)、「蜃気郎」(1979年)、「青春奇談」(1981年)、「ミステリアン」(1983年)、「ポーラーレディ」(1984年)などの発表を経て、1984年の「鎌倉ものがたり」をスタートさせる。媒体は、「漫画アクション」「微笑」「ビッグゴールド」「月刊スーパーアクション」である。「微笑」は「タンボボ」掲載だが、同氏にとっては珍しい組み合わせといえよう。
「鎌倉ものがたり」発表の前後に、鎌倉(方面)に移り住み、現在に至っている。なお、「鎌倉」以降の新作はない。映画化はまだ記憶に新しいところだ。「三丁目」3本、「鎌倉」1本、計4本もあり、あれほどヒットしたにもかかわらずテレビ出演はなかったと記憶している(コメントはあったと思う)。2022年秋から、画業50周年の展示が始まったときも、会場にコメントを添えられた程度であった。
例外だったのは、2010年の紫綬褒章を受章時で、このときの取材風景はネット上で現在も見られる。ご自宅でインタビューを受けたのだろうか。ご自身の雰囲気は、「鎌倉」の一色先生を彷彿させる。

さて、本稿は「三丁目の夕日」等の諸作品から、それらのモデルになったと思われる住んでいた場所の特定に取り組んだ。言わば、上記略歴の隙間を埋める作業である。
その作品群からは判断するに、小学生時代の多感な時期を、練馬区の富士見台駅界隈で過ごしたと考える。それが元になり、「三丁目の夕日」に結実したのだろう。
私は長年そう考えてきたし、改めて「三丁目」の全作品を読み返し、確信を深めていた。

ところが、「正答」は突然おとずれた。
あるSNSにおいて同氏のことが言及され、「練馬区立第二小学校」出身と記載されていたのだ。練馬区貫井二丁目にあるこちらの小学校の学区には、貫井二丁目、三丁目、四丁目、五丁目、向山四丁目が含まれる。練馬区教育委員会によると、当時は現在よりも小学校の数が少なく学区はさらに広かったが、正確な校区の資料は不明で示せないという。
そうではありものの、富士見台駅は貫井三丁目である。また、当時存在した他の小学校の位置関係、商店街の立地状況を見ても、貫井三丁目に住まわれていたと推察する。
商店街ついて言えば、富士見台駅界隈に商店街は3つ存在し、貫井三丁目にある富士見台商栄会(駅から北に坂を下る)、富士見台二丁目にある富士見台ほんちょう通り商店会(駅から西へ練馬高野台方面に向かう)辺りがモデルではないか。
前の投稿に挙げた商店街の写真は、両商店街のものである。なお、富士見台駅界隈は、手塚治虫を始め、多くの漫画家のゆかりの地でもある。

貫井は起伏がある土地で、現在は住宅が立ち並ぶ低地は、往年は小川や沼があったと聞く。作品に表れる小川は、石神井川のほか、当時は存在した貫井川かもしれない。沼の話もいくつかあるが、モデルの沼はどれも埋め立てられた。また、これらの川から少し下流には、遊園地としまえんがあった。貫井の隣の町内であろうか、作品にもしばしば登場。としまえんと直接名称は表記されないが、船頭が飛び上がる舟などはとしまえんの名物であり、その光景は作品中にも出ている。
「三丁目の夕日」はその名の通り、丘から望む夕焼けが印象的である。貫井の丘はそれほど高くはなく、現在は地上から夕日を望める状況ではない。しかし、昔はきれいに望めたかもしれない(マンションの登ればその限りではないが)し、広い町内探せば光景に出合えるかもしれない。
同SNSによると、練馬区での生活は小学生卒業時で終わり、中学生になるときに所沢市に引っ越したそうだ。これは、作品「青春奇談」の主人公の引っ越し先と一致している。

最終回だ。所沢市から鎌倉(方面)への転居も考察したい。
前述のように、氏は在学中、絵本作家の木村泰子氏(茅ヶ崎市出身)と出会い、どこかの時点で結婚されている。
木村氏の著作を資料にして転居形跡を読み解くと、練馬区大泉学園、所沢市などで生活をともにされていたようだ。
「鎌倉ものがたり」のヒロイン亜希子は、大泉学園出身であるし、初期の作品は同地を舞台にしたものがある。また、「青春奇談」では魔物・八百比(びくに)が登場するが、練馬区東大泉には同じ名前の地名もある。
「タンポポさんの詩」「青春奇談」は、二人の新婚生活を示したものだろう。
なお、木村氏の作品は見たことがある人も多いと思う。「みんなの歌」で映像が流れたこともあるし、西岸氏の作品にも、同氏の影響を強く受けたキャラクターが登場しているからだ。

本稿はこれで終わりである。若いときから、漫画喫茶にいけば、「三丁目の夕日」があり、別の作品の合間にもしばしば読んでいた。その長く親しんでいた作品の舞台が、すぐ近くにあったことは感慨深い(私は、貫井一丁目に住んでいる)。
西岸良平氏は、今後も若き日を過ごした土地について何も振り返ることはないだろう。ただ、私は記録として留めたいし、そのことは多くの人に知っていただきたい切に願っている。(完)

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