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Spotify「Deep Forest 20」

90年代によく聴いた音楽ジャンルは、ニューエイジとワールドミュージックです。後者の代表格が Deep Forest なのですが、「代表格」というのは、純粋に音楽性の話だけに限りません。国際社会の在りようというか、政治経済の側面というか、そういったものの現実的な影響力を含めた話。言い換えれば、歴史の転換期における音楽文化の様変わりを目撃した、ってことにもなるでしょうか。

1989年ベルリンの壁が崩壊しました。近現代史でも重要な、文字どおり大きな変革が世界規模で起きていました。同年、日本では元号が昭和から平成に変わります。ちょうどぼくの第一子 (長女) が生まれたこともあり、この前後の動静はとても印象深く覚えています。

Exotism

ぼくがワールドミュージックに関心を持ったのは、中近東のエキゾチズムに惹かれたからです。そのきっかけには、Deep Forest 以前にふたつの存在があります。ひとつは 3 Mustaphas 3 という覆面バンド、もうひとつがパトリス・ルコントの映画「髪結いの亭主」。90年頃、日本ではちょっとしたルコント・ブームが起きていて、ぼくも熱心に公開作品を追いかけていましたが、なかでも「髪結いの亭主」はイチオシだったのです。Michael Nyman がこの映画の音楽指揮を担当していました。で、サントラ盤は Nyman の楽曲とアラブ音楽とが交互にセットされており、そのギャップはかなりインパクトがありました (主人公アントワーヌが奇怪に躍るシーンで使われていた音楽です)。

「髪結いの亭主」のアラブ音楽がまさに象徴的で、ぼくはこの種のサウンドの虜になりました。それを体現していたのが、3 Mustaphas 3 でした。「髪結いの亭主」のエキゾチズムと 3 Mustaphas 3 の世界観は、ぼくのなかではピタッと波長が合ったのです。公式アルバムはたしか 3・4枚だったので、CDは貪るように聴きこみましたね。その頃はまだ音楽ジャンルも曖昧で、CDショップに「ワールドミュージック」という分類はなかったように記憶しています。「民族音楽」や「フォーク」に含まれるのは、たいてい古いシャンソンやボサノバの歌手ばかり。

だから、同ジャンルに横の広がりがなかったのも、3 Mustaphas 3 ばかりを聴いた要因かもしれません。ぼく自身の怠慢は別にして。

Appearance

ぼく的にそういう前史があった1992年、Deep Forest はデビューします。さらに 95年には 2nd「Boheme」をリリース、同年には Peter Gabriel とのコラボ「While The Earth Sleeps」を発表したので、Peter / Genesis ファンとしてもますます目か離せなくなったわけです。当時、これらの作品は衝撃的でした。世界各地から、とりわけ辺境地からサンプリングした素材 (人声も含む) を、エレクトロニックな処理によって再構築してトレンドに乗せました。電子処理とトレンド、このふたつが重要なキーワードです。というのも、最初に Deep Forest の人気に火が付いたのは、ハウスやテクノといった若者を中心としたカテゴリーだったからです (フランスのミュージック・シーンあるあるですね)。

スマッシュ・ヒットとなった代表曲「Sweet Lullaby」には、Deep Forest の魅力がすべて詰まっています。歌唱部はユネスコに保存されていたソロモン諸島の伝統的子守唄 (ペグ語) で、シーケンス・ドラムとシンセたっぷりのコード進行を下敷きに、大衆の心に訴えかける、ハイパーで新しい音質を提示しています。エスニックなグルーヴ感は斬新なのに、どこか憂愁を帯びた懐かしさ。古さと新しさ/中心と周縁が混然となった美しさ

Neigbouring

2nd「Boheme」はとくに素晴らしく、1996年グラミー賞のベスト・ワールドミュージック・アルバムを受賞します。東欧ボヘミア地方のロマの歌曲を採りあげ、ハウス・ビートと融合させた哀愁漂うダンサブル・サウンドは、おそらく彼らのアイデンティティー (欧州人) と距離感が絶妙に合致したのでしょう。東欧の黄昏を感じずにはいられない、トライバルな風に吹かれます。大袈裟ではなく、ぼくの求めていた音がそこにあったのです。

ぼくには Deep Forest が、待ち望んでいた 3 Mustaphas 3 の再来のように思えました。しかも、斬新な電子技術を備えていたのですから、新時代を切り拓くフロンティア―にさえ感じました。少なくとも、ぼくにとって両者は地続き (ネイバーリング) であり、その本質は等しいものです。本稿の導入部で「覆面バンド」と 3 Mustaphas 3 を形容しましたが、実は彼らの来歴/出自にその本質があります (是非 ↓ をお読みください)。

1991年に活動休止した 3 Mustaphas 3 はその実、手練れミュージシャン (英国人) の集合ユニットでした。覆面バンドともフェイク・グループとも言われたのはそのためで、バルカン半島に架空の街シュゲレリを設定、そこからやってきた民族音楽隊の体で活動をしていました。しかし、本質的に重要なのは、出自の真実よりもマーケットの支配力です。聴衆はまんまと騙されたにしろ、ホンモノの民族音楽だと信じて 3 Mustaphas 3 を楽しんでいたのであり、「さもありなん」サウンドに満足 (=マーケットが成立) していたのですから。そして Deep Forest がこの音楽的土壌に欠けていた中心の欠片、すなわち土着の実態/音/声をサンプリングで埋め合わせたとき、土壌のジグソーパズルは完成。マーケットは諸手を挙げて喝采したのでしょう。

先にありきは、マーケットのニーズ。その支配力がサンプリングという技術によってミッシング・ピースを埋めさせたわけです

もちろん、このような見方に拒否反応を示した人々はいます。すなわちそれが、90年代の Deep Forest へ向けられた批判でもあります。

Criticism

批判――。曰く、未開地域に対する西欧の帝国主義的/文化的な侵略行為だ、あるいは、人類の遺産をハイテク技術によって商品化した、等々。いずれも正しく、いずれも誤りです。正誤の問題ではなく、ましてや善悪の問題でもなく、要は現象の捉えかたなのです。というのも、そこには歴史の要請 (時代背景)が厳然と横たわっていたからです。1989年ベルリンの壁の崩壊に続き、1995年にはアメリカで IT 革命が起こります。

東西の冷戦構造が終わり、西側の資本主義経済が勝利した、という幻想に酔った人は大勢いました。さらに 90年代アメリカで景気拡大が続くと、IT の急速な進歩や経済のグローバル化によって今後は景気循環がなくなる、成長は永遠に続く、という考えかたが主流になりました。これをニューエコノミーと呼びます。90年代はそうした状況下にあり、旧東側諸国は次々と市場経済に呑み込まれます。一方、成熟した消費社会をすでに成していた西側先進国は、その消費対象を「狭くなった世界」の隅々まで広げます。鋭い眼光のサーチライトで商品化のネタを捜すように。

比喩でもなんでもなく、これが 90年代ワールドミュージック盛隆の主因なのだと思います。まさに Deep Forest の消長でもある、と。

当時は明瞭に言語化できたわけではありませんが、ぼくは Deep Forest の音楽性から、というよりはシーンの現象面から、なんとなく違和感を嗅ぎ取っていたように思います。いや、もっと単純に「このまま市場原理の刃が世界の果てまで突き進むのかな?」とか「西側の音楽そのものが流入するといまにサンプリングも不要になるよな?」とか、きわめて漫画チックに想像していたにすぎません。しかし、いずれにしろ大切なのは、そんな捉えかたをするぼく自身が資本主義の一員であり、マーケットに参加する消費者である、という現実でした。そこには否も応もありませんでした。

IT革命で忘れてはならないのが、スピードの速さでした。98年にリリースされた 3rd「Comparsa」は、デビュー以来の変わらぬコンセプトで制作されたにもかかわらず、ぼくは率直に素晴らしいとは感じなくなっていました。サンプリングの地域が変わっただけでサウンド構成は同じ。早い話、飽きていたのですね。90年代も後半になると、流行/消費のサイクルがいっそう速くなり、廃れていくのも早まります。ふと考えたものです。未開の素材を西欧マーケットに持ってくるより、未開地域から西欧マーケットに直接アダプトしたほうが手っ取り早いのではないか。これだけ電子技術や西欧音楽が入り込めば、非西欧の周縁地域からマーケットを席巻するアーティストが出るのも時間の問題ではないのか、と。

すると、2002年ロシアから t.A.T.u が現れ、2003年にはモルドバの O-Zone が「恋のマイアヒ」を大ヒットさせます。我が意を得たり、というよりは、歴史の必然を見た思い。だから、ぼくにとっての Deep Forest はこのあたりまでなのです。Spotify プレイリストも同様――。

ライブ盤「Made In Japan」のリリースが 1999年です。デビューから三作のベスト盤的要素を満たしているので、やはり Deep Forest は歴史的に/個人的に 90年代のサウンドだったのでしょう。2005年には Michel Sanchez が脱退、Deep Forest は実質的に解散します (=Eric Mouquet のソロ・プロジェクト)。ワールドミュージック・ブームの先駆者だったのは間違いないので、そう思うと感謝せずにはいられませんが。

最後に、Deep Forest 関連の名盤を紹介しておきましょう。一枚目は Michel Sanchez のソロアルバム「Windows」。1994年の作品なのでバンド本体がもっともノッていた時期です。もう一枚が Catherine Lara の「Aral」です。こちらは 2000年リリースですが、ヴァイオリニスト兼シンガーとしての才能を遺憾なく発揮した「コラボの見本」のような佳品です。どちらもワールドミュージックの系譜に刻まれた Deep Forest の忘れ形見、でしょうか。

それでは、また。
See you soon on note (on Spotify).

1位「Boheme」93点
2位「Deep Forest」91点
2位「Comparsa」91点
4位「Pacifique」84点
5位  ――none―― 

ライブ盤・コンピ盤は対象外

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