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ロジャー・ディーンの世界

R40+  4800文字  アートの世界
ロジャー・ディーン  LPジャケット
※興味のないかたはスルーしてください※  

イントロ・タグ

70年代のプログレ・ファンなら、当時の LPジャケットが有していた独特の視覚世界を覚えていることでしょう。サウンドと渾然一体でありながら、ややもすればそれを超越したアートデザイン。なかでも Hipgnosis (デザイナー集団) と Roger Dean (個人) は二大勢力でしたよね。この二派の手によるアルバムを持っていない70年代リスナーを捜すほうが、きっと難しいはず。ぼくのプログレ遍歴は Yes とともに始まったので、R.Dean には大変お世話になりました。青い感性に刻まれた幻想的なアートは、サブカルの域を超えてぼくの美意識を決定づけました。

ぼくのライブラリーには、数多くの R.Dean が眠っています。一部は玄関やリビングに鑑賞用として飾ってあり、一年に一度、お気に入りのジャケットを入れ替えて楽しんでいます。やはり十代に出会った感動は一生もの、今回は LPアルバムに限定して、ぼくの好きな R.Dean 作品をいくつか挙げてみます。ひとまずサウンドは度外視して、純粋な美術嗜好のみで (Hipgnosis については別記事で)。


YESスタイルの確立

Roger Dean といえば 6人目のイエス・メンバーと言われたほど、Yes のアルバムとは切っても切れない縁があります。彼の有名作品において (ぼくの所蔵 LPにおいても)、Yes およびそのファミリーは 80%以上を占めます。ところで、R.Dean の独自性が花開いたのはいつ頃だったのか、つらつら考えるとおぼろげな線引きが浮かんできます。1972年「危機」の発表直前。というのも「こわれもの」ではまだイエスのロゴ・マークが定まっておらず、フォントにしても、あの Yes 特有の丸味を帯びたくねくね文字ではなかったからです。Chris Squire も証言するように「こわれもの」は R.Dean がすでに温めていたデザインを流用、本当の意味でイエス・サウンドと一体化したデザインを創ったのは「危機」から、なのです。

こわれもの
危機

R.Dean の「らしさ」が Yes の黄金期に花開いたのも、なにか運命的なものを感じます。その Yesスタイルを素人なりに言語化すると、遠近法による二次元の最大利用、からの、脳内三次元映像を喚起する幻想風景、とでも言えるでしょうか。

例えば「海洋地形学の物語」に顕著ですが、アルバム中央に消失点のピラミッドがあり、両端には岩塊がアルバムからはみださんばかりに描かれています。まさに透視図法のお手本のようで、極端に誇張された遠近感は、当然、枠内 (12インチ四方) に収まりきらない脳内拡張を誘発します。そこでアルバムを開くと、表紙全体には脳内イメージを補足する魚群 (具象アイテム) によるリアリティーの描写。しかも、実は表ジャケットも全体図の一部に過ぎなかった、という認知の仕掛けが「飛びだす絵本」にも似た追加情報となり、脳内の幻想風景は途方もない広がりと奥行を獲得します。

海洋地形学の物語
アルバム全体図

もう一枚「リレイヤー」も見ておきましょう。こちらのパースペクティブは奥行よりも垂直方向に力点があります。特にアルバムの左側四半分にそそりたつ氷壁らしき大胆なラインは、流れるように滑らかでありながら絶望的に切り立ち、異様な存在感を示しています。それは、色の濃淡によって表わされる遠近感以上に、画面の垂直距離をデフォルメしています。この大胆で流れるような垂直ラインは、のちのち「結晶」や「ラダー」でも活かされるので、やはり Yesスタイルの特徴のひとつでしょう。また、本来なら主役に成るはずの騎士たちが、あたかも記号のように貼りついているところが逆に面白く、物語性をいまにも画内に持ちこみそうで、しかしあくまでも幻想風景のフレームを侵さないところが絶妙だと思います。

そしてアルバムを開くと、表ジャケットはやはり全体図の一部に過ぎなかったことを知らしめる、横たわる大蛇。モノトーンを基調にした、R.Dean には珍しい配色ですが、タイトル文字、ロゴ、グラデーションの妙、すべてがバランスよく収まった傑作です。

リレイヤー
アルバム全体図

繰り返しますが、これらの Yesスタイルは黄金期の特徴として認められるもので、長きにわたるイエスの活動時期のなかで微妙なマイナーチェンジは随時おこなわれます。例として「Drama」~Jon Anderson が抜けてバグルスと合体したとき~と「Yesshows」~2枚組ライブ盤~を貼っておきます。前者は、同じ幻想風景でもやや無機質な肌合いの画風。後者は、中央のキャラに焦点を当てたシンプルなもの。

Drama
Yesshows

また、Yesファミリーの作品でも R.Dean の筆致は足跡を残します。1975年から Yesメンバーのソロ・アルバムが各自発表されますが、Steve Howe との一発目がやはり印象深いですね。脱退した Tony Kaye のバンド Badger のカバーアートも、けっこう面白いです。希少価値もあって。

Beginnings
Badger

YES以外との差別化

Yes 以外の作品も見ていきましょう。まずは Asia、衝撃のデビュー盤から強く印象づけられたように、アルバム中央にシンボリック・キャラ (猛々しいドラゴン) を配する、初見インパクト優先の画質です。ゆったりと作品に埋没しなから眺める幻想風景と異なるあたりは、作者側も Yes 作品との差別化を意識したのではないでしょうか。注目すべきは、銀色の球体/その質感。80年代のサイバーパンクっぽいテイストが見られ、この感触は以後の Asia 作品にも受け継がれます。そういう意味では 3rd「アストラ」がいちばん典型的かもしれませんね、大友克洋「AKIRA」を連想させるので。

エイジア
アストラ

次は Uriah Heep の二枚。「悪魔と魔法使い」「魔の饗宴」はともに Yes「危機」と同じ1972年に発表されています。しかし、こちらは人物キャラにコミック的要素が見られ、Yesスタイルよりも写実的な割には背景の描写が幻想的で、アンバランスに感じます。1972年といえば UKシーンがプログレに席巻されていた頃、Uriah Heep も流行には敏感に反応した、といったところでしょうか。ただ、Yes に比べると、サウンド自体にカバーアートとの一体感はありません。というより、当時 Uriah Heep はハードロックの先輩格であって、Yes のほうが売り出し中の立場だったわけです。

悪魔と魔法使い
魔の饗宴

Roger Dean ファンのあいだで頗る評価の高いのが、Greenslade です。1st のセルフタイトル盤、2nd「Bedside Manners Are Extra」、いずれにも描かれた、妖術師とも魔法使いともつかぬ怪しげなキャラクターが、画風全体のダークネスを支配して惹き込まれます。たしか70年代後半には、輸入レコード店で高額取引されていた記憶があります。サウンドは二の次、とにかく R.Dean の稀なイラストというだけでプレミアが付きましたから。

Bedside Manners Are Extra

もう一枚、忘れてはならないプログレ関連が Gentle Giant の「Octopus」。R.Dean にしてはかなり即物的/写実的描写で、いまにも動きだしそうなダイナミズムを捉えています。ちなみに、次作「ガラスの家」のフォト・ジャケットは、弟 Martin Dean の手によるもの。ともに Gentle Giant の最高傑作に挙げられますが、一流と呼ばれるアーティストは、逆にそういったポイントを外さないのでしょうね。

Octopus

おまけ①

ここまでぼくが愛蔵する Roger Dean の作品を見てきましたが、実はそれとは知らず (R.Dean の手がけたものとは知らず) 購入したものもあります。イギリス留学時に現地で買い求めた100枚超の LPレコードのなかに、それらは紛れこんでいたのです。一枚が Atomic Rooster の 3rd。Carl Palmer (ELP) が過去に所属したバンドということで入手したものの、ジャケットの老婆から R.Dean らしさは微塵も感じられません。もう一枚が Osibisa の 1st。こちらはロゴと背景がそれっぽく、そうかもなあ、と思っていたので、後で知ったときは「儲けもの」みたいな気がしたっけ。

In Hearing Of A.R.
Osibisa

ところで、Roger Dean の LPジャケットを鑑賞するときには、注意点がひとつあります。それは、鑑賞する R.Dean の周囲をすべて R.Dean で固めてしまうこと。というのも、上述したとおり彼のスタイルは遠近法を駆使した脳内幻想風景なので、もし R.Dean 作品の隣に、例えばスザンヌ・ベガ「孤独」のような顔面アップのフォト・ジャケットがあれば、脳内のフォーカス機能が混乱して興覚めするからです。早い話、遠近感の調整がおかしくなるのですね。それまで没入していた R.Dean の世界は、いっぺんに小さくパノラマ化します。どうぞ、ご注意を。

Yessongs
Yessongs

おまけ②

さて、ひととおりぼくの愛蔵 R.Dean を紹介しましたが、一周まわって返り着くのは、やはり Yes の作品群です。特に1972年「危機」から彼の Yesスタイルが確立した事実は、なかなか看過できません。はっきり言ってあのデザイン、ロゴとタイトルの文字を除くと、ただの緑のグラデーションだけですから。R.Dean はこのとき一か八かの博打に出たのかもしれませんね。ハッタリというか無鉄砲というか、誰にでも生涯一度だけ通用するテクニックの切札があるとすれば、まさに「危機」のデザインがそれかも。そして、それが R.Dean の成功のみならず、歴史的刻印となったがために、もう誰も模倣することはできなくなったように思います。傑出しすぎて、後世はパクリ厳禁の呪縛をかけられたようなもの。

あるいは、歴史的名盤にはそのような奇跡がおのずと集まってくるのでしょうか。ニワトリが先か、タマゴが先か。

最後にもう一枚だけ、おもいで深いジャケットを。1975年「Yesterdays」です。遠近法的にはやや平板なイメージですが、女性の裸体写真と蝶々のコラージュが効果的です。Yesファンならご存じ、2nd「時間と言葉」のジャケット・デザインを引用したもので、オムニバス盤としての特質をよく表しています。ただ、それよりもぼくの心を離さないのは、裏ジャケットのほうなのです。裸の少年少女。

Yesterdays
アルバム全体図

あれは中3の冬、美術の授業での卒業制作 (水彩画)でした。ぼくはこのアルバムの裏ジャケットをそのまま拝借することにしました。プログレを聴くような同級生はあまりおらず (誰にもネタ元がバレず)、一躍みんなから尊敬の念を集めます。それもさることながら、ちょうど付き合いだした T家さんが、美術の下書きを一緒にするとかなんとか口実をつけ、彼女の御宅へ招かれることになったのです。出迎えてくれたお母さん、揃いのティーカップ、12月の凛とした空気、なにもかも昨日のことのように覚えています。生まれてはじめて、女の子の親御さんに挨拶をしたのですから。

それは、たぶん、おそろしく微妙な空気だったのでしょう。背伸びをした中学生の恋人同士は、子供でも大人でもない、微妙な段階です。さらに (学校では制服なので)、はじめて見た T家さんの普段着姿も、日常と非日常とのあいたで微妙に揺らめきました。よそゆきのドレスアップでないことが、かえって彼女のプライバシー/神聖性を高めました。そして、T家さんの自室で開けた「Yesterdays」。息を呑む、少年少女の裸体。エロスが発生する直前の、ギリギリの芸術性が、いま思うとなにやらあの日のぼくたち二人を凝縮したように映ります。まだ手さえ握っていない恋人同士の、無垢と好奇心のせめぎあいが、ぼくにとっては、あのデザインに永遠に閉じ込められているように感じるのです。

Classic

現在でも、たまに酒を飲みながら、額縁に入れた R.Dean に浸ることがあります。家人がぼくの表情を見ては「キモッ」と吐き捨てます。
























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