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半沢克夫インタビュー


LB:写真を撮り始めたきっかけは?

半沢:若い時、ヒッチハイクであちこち国内を旅行して周ってたんだよ。
その旅から帰ってきて、そろそろまともな仕事をしようと考えていたら
ある日、下宿先の窓を開けたら隣に住んでるカメラマンの人が立っていて「何か仕事ないですか?」って聞いたら、写真をやってみれば」と言われたんだよ。
当時美大に行こうとしていてデッサンの勉強もしていたからね。
「写真は光と影だ、絵も同じだよ。」
と言われてね。
カメラマンになるにはどうしたらいいかって話になって。
まずはプロの現像所に行って、プロの写真を見てこいと言われて現像所を紹介してくれた。
これなら俺でもできるかなって思って写真の道に入ったわけですが、今思えばなめていたんだね。
その後スタジオに入ってスタジオマンになって、あとその先生の助手になって、3年目に気がつくんだよ。
とんでもない世界に入ってしまったとね。
先生は商品撮影のプロで車や電化製品のカタログを撮っていたからね。
そこにはあまり興味がなかった。
そこで思いっきり人間の写真を撮ってみたいと思ったんだよ。
過酷な風土で暮らしている人間の姿を撮りたいとね。若いからね。
そこで自分の写真が見つからなかったら写真はやめようとね、、一か八かという感じでインドに行ったんだよ。
当時インドに行く奴なんていなかったからね。
先輩からは広告写真を目指しているのにアメリカやヨーロッパに行かないでインド行くのは
自殺行為だと言われたけどまったく気にならなかったね。

LB:それが半沢さんのベースになってるんですよね。
ひとを何百人撮ったんでしたっけ?

半沢:最初は何をどう撮ればいいのか検討もつかなかったから2か月間ヒッピー達と毎日遊んで考えていた。
究極の写真で何だろうってね
そこで人の顔だと決めて顔を中心にポートレートを撮り始めた。
それから5か月間に500人ぐらいのポートレイトを撮影したんだよ。
今見るとかなり下手なんだけど2ロールに1枚ぐらい奇跡的にいい写真があるんだよ。何しろ人を撮るのは初めてだしね。

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https://www.amazon.co.jp/India%E2%80%90Hanzawa%E2%80%95%E5%8D%8A%E6%B2%A2%E5%85%8B%E5%A4%AB%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86-%E5%8D%8A%E6%B2%A2-%E5%85%8B%E5%A4%AB/dp/406204921X

LB:日本じゃなくインドの人たちのほうがよかったんですね

半沢:インドとは割と絵になる人たちが多いからね。
俺の先生は商品撮影の先生だったからね。車とか冷蔵庫とか扇風機とか撮ってたから。技術は覚えたんだよ。人間の写真はインドでポートレートを撮影して覚えたんだろうね度胸もついたしね

LB:帰国してからはどうしたんですか?

半沢:そう、インドから帰ってきてからミュージックマガジンがインドの写真を見せたら、10ページ特集してくれた。
それがきっかけで音楽の仕事がくるようになって来日したロックミュージシャン達を撮り始めた、
トム・ウエィツの来日公演を撮る機会があって、その写真を見たアートディレクターが写真がほしいと言ってきたからプリントを持ってったら、その人から「広告やるか?」って言われて「やりますよ」って言ったら、その人と一緒にやった仕事がADC賞とADC最高賞を取っちゃったんだよな。
それから急に広告やファッションの仕事が来るようになってね。
それに応じられようになったのは商品撮影で写真の技術を学んだ事と、インドで撮影したポートレートで度胸がついたこと、ロックミュージッシャンを撮影してひとの動きの面白さも撮れるようになった事の三つが役にたったんだろうね。

LB:インド行った時って何歳でしたか?

半沢:26歳から27歳。
その後も仕事でもプライベートでも何回も行ったな。
いろいろな国に行ったけど、インドは面白いね。

LB:トム・ウエィツの写真ってあの写真ですか?

半沢:あの写真。記念すべき写真だよね。
1日間違えたんだよ、撮影日。取材日を間違えて前の日行っちゃったら誰もいなくてしょうがないから俺そーっと中に入って行ったら久保講堂のステージでトム・ウエィツが一人でピアノを弾きながら歌っていてね、
誰もいないから撮っちゃおうって撮った写真がすごくいい写真だった。

LB:それが名作になった

半沢:それがきっかけで広告の仕事がどんどんくるようになって、スチール以外にもムービーとかもニューヨークのハドソン川の上流で蝶鮫をとる老人のNTTのCMとかKDDの企業広告でオノ・ヨーコとショーン・レノンのCMとポスターとかね。
これまたカンヌで金賞とか取っちゃったりして、益々仕事がくるようになってね。

LB:有名な人撮っても、あんまりそういう感じないですよね。俺撮ったぜみたいな。

半沢:そうだね。あんまり気にしていないからね。

LB:例えばストーンズとかオノ・ヨーコとか、名だたる人撮ってるのに、そんなに俺撮ったよみたいな感じがあんまりないですね。

半沢:あの当時はめちゃめちゃ忙しかったから、SNSもないし、そんな風に思ってる暇もなかった。目の前のスケジュール真っ黒だし、マネージャーは仕事断るのが仕事だったし。
80年代から90年代はそんな感じだったんだ。

LB:半沢さんはヒッピーみたいだからなぁ。

半沢:あー、昔からワーキングヒッピーって呼ばれてたな。バーって稼いだら1ヶ月ぐらい何処かにバーっと旅に出かけて行ってって、しょっちゅう、それも行く場所は広告が目指す方向と逆の方向に行ってた。ヨーロッパとかアメリカ行かないで、ディープな所に行ってた。

LB:周りがアメリカとかヨーロッパに憧れて行ってたのに。

半沢:当時も今も皆んなが目指しているのがそこだったからさ、ファッションでも音楽でもさ。
打ち合わせ行けばさヨーロッパの雑誌がいっぱい並んでいて、こんな風に撮ってください、あんな風に撮ってくださいって言うんだけど撮るのは日本人のモデルだよ。違うだろ。そういうことにすごいむかついててさ。
当時白人のヒッピーたちが向かってたのがインドだったりしたんだよね。
当時の欧米の若者たちは新しい刺激を求めて世界中旅していた。
インド、アフリカ、アジア、南米、、当時日本人はアメリカやヨーロッパに憧れていた。
じゃあ、同じ世代の欧米の若者がどこに行こうとしていたかとういとインドだったんだよね。じゃあ、そっち行った方が早いじゃんって。まぁ、もともと、みんなと反対のことも考えるのが好きなんだよ、
みんなと一緒に行かない。反対を見ようみたいなことは子供の頃からあったからね。性格だね。

LB:今の人が撮れない、ポートレイトを軽く撮っちゃう。

半沢:あれぐらいたくさんの人を撮ると、いつの間にか絵画でいうデッサン力や度胸がついてくるんだよ。
ミック・ジャガーが来ようが、キース・リチャーズが来ようが気難しいインド人やアラビア人を撮るよりも難しい事はないんだよ。

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https://youtu.be/1iZX_UjUC5w

だって撮っていいわけだからね、、しかもライティングも好きなように出来るわけだしね。
ポートレートは自分が感じた被写体の魅力が写るか写らないかだからね。
写真は何度も失敗しながら実戦で覚えてきたんだよ。

LB: なるほど、それが半沢さんのポートレイトの名手になった理由ですね、
今日はありがとうございました!

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