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よっ楽しませ屋、にくいねぇ…フリードリヒ・グルダ“チェロと吹奏楽のための協奏曲”




ナカリャコフがフリューゲルホルンでシューマンの幻想小曲集を演奏している、しかもピアノはアルゲリッチであると聞いて聴いてみたのですが、同アルバムの最後を飾るチェロ協奏曲のインパクトがやばかったのでそっちの話になります。(ナカリャコフのフリューゲルホルンはもちろんとてもエッチで良かったし、なにより最初のシューマンのピアノ四重奏曲のガチバトルぶりがめちゃくちゃすごかった。ライヴパフォーマンスに対する畏怖にも似た歓びを改めて思い知る名盤でした)

フリードリヒ・グルダ(1930‐2000)はモーツァルトやベートーヴェンの演奏で好評を博した名ピアニストですが、めちゃくちゃアクの強いおっさんで、音楽を「クラシック」という枠を収めるメンタリティを嫌ってジャズピアニストとしても活動したり自ら楽曲制作も行っていました。モーツァルトの弾き振りをyoutubeでみたことあるんですが、めっちゃ愉快なおじさんですね。リアルタイム世代だったらよかった…w






協奏曲とはなんだ!超絶技巧とグルーヴだ!


そのグルダによるチェロ協奏曲の話。まあ何はともあれ再生してみましょう。ちなみにこの手をぷらぷらさせてるおっちゃんが作曲者のグルダです。 

まず映像を見ると一目瞭然なのですが、「チェロ協奏曲」のイメージとはかけ離れたブラスバンドがバックに控えています。ドラムスやギターとベースもいる。えっなんで。

力強いソリストのキメ打ちからブラスにドラムとベースが入り、ポップス調のリズムの上をチェロがガシガシと弾き進みます。(手元の小冊子には「ロック」と書いてあるんですが、ロックなんでしょうか?ドリフターズがコントの合間にやってるようなコテコテなコミック感がします。まあロックの定義の話になるとややこしいので適当に流してください..w)

えっなんで協奏曲でズンチャカしてんのと混乱しつつも普通にパッセージがカッコよいので笑ってしまう。木管セクションが導くクリシカルで若干おまぬけな小休止をはさみつつ、チェロの疾走はエスカレート。最高潮まで高まってからの再びのキメ打ちで第一楽章がフィニッシュ。

なんじゃこりゃあ。でもアリだなあ。と混乱しながらの2楽章はホルンとトロンボーンのコラールで始まる田園風景。ザクセン地方の唄だそうです。チェロの本領発揮とばかりにここではゆったりと朗々と歌い上げます。

安心したかなと思いきや第3楽章は現代音楽の感覚が入っていそうなややシリアスなカデンツァ。しかし緊迫したパッセージの中に三味線のような撥音や救急車みたいなドップラー効果とかユニークな音の断片が差し込まれており、茶目っ気はやはりあるよう。先ほどの映像ではグルダのおっちゃんソロに合いの手に入れてます。自由すぎる...w

4楽章は箸休め的なメヌエット。ギターの伴奏で山岳地方の舞曲みが漂います。比較的真面目。なるほど、じゃあ最後の5楽章はこのおっさんまたふざけるな…なになに「マーチ風」…えっマーチ…協奏曲のフィナーレにマーチなんで…

軍楽隊真っ青のバリバリのブラス、うきうきのスネアドラム、その上を跳ねるチェロのソロ…バストロンボーンなんかはモリモリ音を割りますし、トランペットもブワンブワン音色を揺らしてハイトーンをぶちまけますし、聞く人によると卒倒しそうな…w自分はこういうの嫌いではないのですごい楽しかったです。

真面目に考えてみると、協奏曲というジャンルはソリストの超絶テクニックと疾走感のある演奏で聴衆を引き込むということが一番のエンタテイメントとなるわけなので、ポップスやマーチでも全然成り立つのだなとちょっと蒙を啓かれたような心地がしました。

「オレとチェロソナタを演奏する口実に曲を書いてくれっていいやがったもんだからちゃちゃっと書いてやったら思いのほかウケてしまって演奏するアイツが忙しくなりやがったぜざまあみろ」みたいなこと書いてるようですが、こんなにオモシロ要素を盛り込りこんでくるのは、やはり根っからの「楽しませ屋」、エンターティナーだったんだろうなという気がします。てらいのない純粋な楽しませに触れた感じがするからこんなにニヤニヤしてしまうのでしょうか。全力で楽しませようとする真面目に不真面目な(絶対めちゃくちゃ難しいし)いい曲だと思います。