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可能性の条件としての不可能性

何も書けないところで。積もる意味に斜線を引き、斜線と斜線を繋げずに。考えられない?しかし言葉が、いやもしかすると、僕らは僕らではなく、誰かの言葉だけなのかもしれない。しかし斜線と斜線の間で(位置的もしくは時間的)いや、もしかすると、そこに斜線を引き、また隣へ向かわなければならないのか?フロンティアへ?しかしフロンティアはあり得ない。フロンティアはフロンティアとして投げ出された時点でフロンティアではなくなる。完全なフロンティアは、あり得ない場としてしかあり得ない。あり得ない場として有り得ない。ないとしてない場。しかし、不可能性のみが可能性をつくる。つまり、フロンティアはあり得ないからこそフロンティアはフロンティアとして言われることができる。不可能性が可能性の条件である。

不可能性とは可能性に斜線を引くことではない。可能性の外にあり、可能性を支えるものである。
ここで言われるフロンティアとはフロンティアと言われるときにすら既に常にフロンティア以上にあるもの-ないもの-である。フロンティアがフロンティアと言われるときにフロンティアに入らないもの。フロンティアの外側。可能性の外側。不可能性。

しかし、なぞること、層にするように書くべきだと言うこともできる。層は積もるだけでなく代謝するだろう。地層として埋もれ、固まり、また積もることで動くだろう。この地層はフロンティアになり得るかもしれない。埋まり固まったものが積もり動き出す時。しかしこれこそが我々がフロンティアという時に言われるフロンティアに他ならない。つまり二次的なフロンティアであり、不可能性の上に作られうるフロンティアでしかないのである。このフロンティアは永遠に一次的なフロンティアに届くことはなく、というより一次的なフロンティアというものがあり得ないものとしてあることで、二次的フロンティアを作り出しているのである。

一次的なフロンティア=認識不可能かつ思考不可能

二次的なフロンティア=認識不可能だが、思考可能

言及不可能なものが言及可能性の条件としてある。

非存在が存在の条件としてある。


非存在は存在の否定ではなく、空虚な否定性なのである。ただ斜線のみの空虚な行為的否定性。しかし、この空虚な否定性のみが、実定的な存在自体を生成することが可能なのである。

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