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201203|抗がん剤が打てないかもしれない。腫瘍内科のお話。とその後の親戚との会議。

2020年12月3日(木)。今回は腫瘍内科で初めて抗がん剤に関する説明を受けました。

母の付き添いを叔母に託し、私は母が繋ぐハンズフリーの電話を経由して先生の話を伺う予定でした。(もちろん先生からの許可はもらいました)

しかし予定時間になってもなかなか電話の連絡が入らず、ヤキモキしていた中、母から電話の連絡が入りました。

「先生に話をしてもらうのだけど、厳しい話もあるっていうから、聞いて。」

というセリフを母から聞き、先生と挨拶をさせてもらって、そこから先生の説明は始まりました。

・抗がん剤についての説明。
・抗がん剤を仮に投与するとなっても、11月20日に実施した手術から体力が回復するまで少し日数を置く必要がある。開始の目安は12月中旬くらい。
・ただ、そもそも、現時点で肝機能に関する数字がかなり芳しくない。
・このまま肝機能の低下が進むと、抗がん剤の投与ができないという厳しい判断もありうる。
・10月後半に癌の診断を受けたタイミングから比べてもかなり肝臓のがんが進行している。
・12/4でCTスキャンを撮って、血液の検査もして、その内容を踏まえて抗がん剤の投与ができるかどうかの話を12/10に行う。
・必ず家族親戚と一緒に12/10は来てください。

というお話でした。

私たちももちろんだけど、母が何しろショックを受けていて、このようにショックを受けるような場面は、一体何度目だろうというくらいでした。癌の告知、余命の告知、腸閉塞対策の大腸の手術をするにも血糖値が下がらないと手術も受けられないかもしれない、こういう話にひとつひとつショックを受けつつも受け入れ、手術も実施にこぎつけ、やっとこれからが本当の戦いだと思っていた矢先のお話でした。

抗がん剤のお話

その説明の中で、抗がん剤についての説明もありました。相手が高齢者ということもあり、種類ごとに主にどのような副作用が出るのかという説明がメインで、その中で受け入れられる副作用を選び、結果として抗がん剤の種類を選択するという感じでした。私自身はそれぞれどのような名前のものなのかというのを聞きました。(そしてその後それぞれについてインターネットで調べたりもしました。)

先生の説明が終わったのは17時を過ぎる直前。すぐ介護の相談へ。

その後に私はすぐに動きたいことがありました。それは母の介護認定に向けた対応です。もともと父は要介護3で介護施設に入っており、一人っ子の私は東京で妻と子どもと生活していて、母は地元で一人暮らし。近所に親戚はいても、少しでも「支援の手」は借りたいところでした。また、母は68歳と今の時代としては若いはずの年齢ではありますが腕も足腰も悪く、自分で重いものを持ったり、サクッと立ち上がることも一苦労という状況。なので、もしかしたら要支援などの軽度の介護度だったとしても、介護の仕組みにお世話になった方がいいのではと考えていました。

事前に調べて、地域包括支援センターにはあらかじめ母から連絡を入れてもらい、接点を作ってもらっていました。そして腫瘍内科の先生からいただいた話の結果を地域包括支援センターの担当者に伝える予定になっていました。おそらく17時に閉まってしまうであろうと思ったので、母に「急ぎ連絡できる?」と伝えましたが、上記の内容を聞いたばかりの母です。とてもそんな気持ちにはなれず。なので、私から地域包括支援センターに連絡をしてすぐに連携を始めました。(その次の日には、担当者が面談に来てくれ、その後介護サービス事業所につないでもらい、ケアマネージャーにも繋いでもらい、次の面談の段取りも組んでいただきました。)

がん(ただし、深刻ながんに限る?)であると、介護認定を受けられやすくなるということもネットで見たりしたので、近くから訪問で母を訪ねてもらえる状況を作るとか、今度体調が悪化した時のための介護ベッドの用意など、少しでも事前に対応できるようにということで動き出しました。

翌12月4日、親戚が家に来てくれました。

腫瘍内科の説明の翌日、親戚が家に来てくれて、母も交えて少し話し合い。

・介護認定の手続きの進捗の話
・私自身が母のサポートをするためにどれくらい実家に来れるのか、とどまる事が出来るのか
・抗がん剤を仮に打つことができるようになったとしたら、どの副作用を受け入れるのか

主にこの3点。1点目の話については、↑に書いた通りのことを伝え、12月4日の午後には面談に来てくれることになった旨を伝えました。私自身のサポート体制としては、状況に合わせて、地元に留まる頻度を高めていくことを共有しました。ただ、親戚も私の家族のことも心配してくれており、

「親も大事だけど、自分の家族もこれからの人たちなのだから、そっちが崩れたら元も子もない。もちろん実の母なんだからある程度サポートはしないといけないが、私たちも近所にいる中でできることは限られるけどできることはするから。私たちも兄弟姉妹なのだから。」

と、励ましてくれました。これには本当に救われましたし、全体のバランスを見ながらサポートしていかないと総崩れになってはいけない、と一人っ子で苦しいながらに思いました。(そして私の家族も今は子どもが1人なのですが、なんとかして兄弟姉妹はつくってあげたい。と心をあらたにもしました。私たち夫婦も37歳と、子どもをつくるのには適切なタイミングは既に過ぎ始めているという自覚があるからです。)


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