「推し」と「好き」はどう違う?

「『推し』と『(恋愛対象への)好き』は何が違うん?」

むやみやたらに身の回りで「推し」を作る私に、とある友人がこんな事を聞いてきたことがある。

というのも、私は昔から好きな先生を「推し」と言ったり、会社の先輩・後輩社員に「推し」(余談だが、現在の会社には5人ほどいる)を作ったりという世界で生きている。

全員男性であり、私が推しているという事は本人に伝わっていることが多い。だがこれは、好意を持っているとはまた別である。

恐らく私にとっての「推し」はLOVEではなく、尊敬できる部分がある、もしくは人として素晴らしい部分が垣間見えた事があるケースが多い。

会社の先輩の推しAさんを例として紹介する。
積極的に話しをする事は滅多になく、静かに淡々と仕事をこなすタイプ。だがある日、営業活動の報告(日報)を全社共有のページに投稿をすると「いいね」をしてくれたのとがある。人に興味がないと見せかけて、こんな所を見てくれているのか!そう気づいた瞬間、キュンとした。

……………ん?キュン?

申し訳ない。私にとってこれは「好き!LOVE!恋!」ではなく、「推すしかない!」という思考になるのである。

「こんな一面もあるということをもっと多くの人に知ってもらわなければ!」と謎の広報意欲が増してしまう。また「かわちい!甘やかしたい!」とついつい、おせっかいおばさんがでてしまう。それが私の持って生まれた「推し」気質なのかもしれない。

そしてこの「推し」気質を侮るなかれ。
ストレスフルな日々を生き抜く中で大活躍している。

身近に推しがいるだけで間違いなく日々の幸せが増える。

朝、会社への最寄りに着いた時「推し」の先輩を見かけて声を掛ける。オフィスまでの道中、他愛もない会話をしながら出勤。それだけで一日中HAPPYである。
なんなら同期に速攻自慢をする。

「推し」の後輩が仕事でうまくいったみたいだ。喜んでいる姿を見て、こっちまで笑みが溢れる。なんなら笑顔で報告しに来てくれたらもうこっちはなんでもご褒美に買ってしまう。職場付近にある某コーヒーチェーン店でドリンクを奢るのは日常茶飯事だ(もはや餌付け)。

そんな日常を過ごす中で「あんた好きな人とか彼氏おらんの?」という聞くのは愚問である。

ここまで読んでくれたあなたにはお分かりいただけるであろう。


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