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【光る君へ】第18回「岐路」

今回も簡単に済ませたい。

大石先生や制作統括さんは、道隆一家(中関白家)に何か個人的な恨みでもあるのだろうか?道長を少しでも良く描くために負のバイアスをかけなければならないという固定観念にとらわれすぎていないだろうか?道隆も道長も、当時の貴族の常識に則って政を進めていたはずである。

今回描くべきだったできごと

伊周の「皇子を産め」暴言ハラスメントは正視に耐えなかった。前回の道隆は病身で余命いくばくもなく、錯乱状態ということにしていたからまだしも、今回はシャレにさえならない。もし、以前大問題になった政治家の「子を産む機械」発言などに対する風刺を狙っているのならば、本ドラマにおける発言者は他ならぬ道長になるはずではないか?

それよりも今回取り上げる時期(995年)には、決して落としてはならない重要なできごとがあったはずである。

内大臣藤原伊周が、一条帝と中宮定子に白い紙を献上した。帝はそれに『史記』を筆写させた。

定子は最初、「『古今和歌集』でも書こうかしら」と思っていたが、そこで清少納言がひとこと漏らす。

「枕にしたいものですわ。」

それを聞いた定子は、その場で清少納言に紙を下賜した。

宮の御前に内の大殿の奉らせ給へりける草子を、「これに何をか書かまし」と、「上の御前には史記といふ文をなむ、一部書かせ給ふなり。古今をや書かまし」などとのたまはせしを、「これ給ひて、枕にし侍らばや」と啓せしかば、「さらば得よ」とて給はせたりしを…

(筆者意訳)
中宮様の御前に内大臣伊周様が献上なさった草子について、中宮様は「これに何を書こうかしらね。帝は『史記』という文をお書かせになっているそうよ。私は『古今』を書こうかしら。」と仰せになられたので、私が「これをいただいて、枕にしたいものですわ。」と申し上げたところ、「それならば受け取りなさい。」と、私にくだされた…

『枕草子』跋文より

後年その紙に書き綴られた文章が初稿の『枕草子』である。
このエピソードは小迎裕美子さん「本日もいとをかし!枕草子」でも冒頭で紹介されている。

まさしく、歴史が動いた時。
それを映像にしなくて何とする。

「かなふみ」のサイトで、定子と女房たちが集う画像が掲載されている。ドラマでは伊周が怒鳴り込んでくる直前の場面だが、あまりにも冷たい制作陣に代わって、”枕”ひらめきの瞬間を作ってみた。

かなふみ「料紙下賜」

定子さまのご尊顔が清少納言と逆方向なのが惜しいが、向き合っている画像が出ていないゆえご容赦願いたい。

今回は、一条帝と定子さまの寝所場面がかなり多かった。それも結構だが、女房たちと明るく楽しく過ごしつつ、清少納言が『枕草子』に書くネタを仕込んでいる場面を、もっとたくさん見せてほしかった。

お礼くらい言いなさいよ

冒頭の宣孝はよかった。おみやげの酒は現代の焼酎に近いものだろうか?まひろも、宣孝の大らかで、いつも自分を気にかけてくれる人柄を改めて見直したようである。

対して最後の大石先生タイム。
感染の危険を顧みず、自分はかからないと謎の自信のみで捨て身の看病をしてくれて、そのいきさつを乙丸から聞いているのだから、「今、語る言葉は何もない」じゃないでしょ。自分の志に全然達していないという問題以前の話。命を救ってくれたお礼くらい言いなさい。

私ならばここでまひろに、「宣孝さまから宋のお話を聞きました。年は離れておりますが、良き殿御でございます。」的なセリフを言わせて道長に揺さぶりをかけ、後年権力に物を言わせ、帝と定子さま、さらに「娘を入内させるな」と願う倫子の想いまでも踏みにじりつつ無茶な政策に走り、まだ幼い彰子に「皇子を産め」と事あるごとに説教するおじさんと化す伏線を引きたいところである。

※タイトル画像はYUKARIさんのイラストを使わせていただきました。




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