ごはんを、一緒に、美味しく、心地よく食べられること
おはようございます。
今は朝7:30のパン屋さん。
モーニングを頼んで、
一番端の席が空いていたので、
少し嬉しくホッとしながら座りました。
隣の隣にサラリーマン(見た目で判断するのはよくないな…これから会社に行くのかなって方なので、もうさらりーまんというあだ名ということにします笑)が先に座ったのですが、
(少しマイナスなエピソードなので、読みたくない方は少し飛ばしてくださいね)
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ちいさなボウルに入ったサラダをズズズッと音を立ててミニラーメンのようにすする…
バタバタと資料を取り出し、
ボールペンをカチカチッ…カチカチッ…と定期的に鳴らしながらチェックし、
パンが焼き上がったら番号札でお呼びしますねとレジで言われたのですが、呼ばれる前に取りにいく…(わたしは、逆の立場に立った時呼ばれてからきてほしいなと思う…)
そして、吸い込むように、パンを高速で食べていく、
そして資料確認に戻る…
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もちろん、さらりーまん側は朝の忙しいすき間の時間で、朝のお腹を満たしてぱっと資料を確認する場所、という感覚でそこにいたのだと思います。
でも、わたしはゆっくりと、朝の時間を過ごしたいなと思っていたので、少し、残念というか、悲しい気持ちになりました。
こう感じることは、良いことでも良くないことでもあるなと思うんです。
わたしはそのさらりーまんを見て、あ…わたしはゆっくりとごはんを楽しめる人と、美味しくごはんを食べていたいな(友達や家族や恋人など関わる人)と思ったし、
あと、人と心地よくごはんを食べられることは当たり前のようで、実は本当に幸せなことなんだなと、思いました。
気づけたので、それは良かったこと。自分の未来の悲しいや、残念を減らすことができる。
でもわたしは今日、悲しいという気持ちを持ちました。
毎日毎日ポジティブに、気づかない心を持っていたら。なんでも良いやと思う人だったら。
まず傷つくこともない。私は間接的に、勝手に悲しい思いをさせられたと思ってしまっているだけで、直接的に嫌がらせをされたわけではないから、傷つく必要も本当はなかったんだと思います。
悲しむこと、喜ぶこと、嬉しいと思うこと、怒りを覚えること、
これらって結局、最終的に自分の心がどう感じるかであって、人にどれくらい何をされたかとか、どれくらい素晴らしいことがあったかとか、
数字や量では表せないんだろうなと思うんです。
だから人と関わることは難しい。
ある程度、これされたら嬉しいよねとか悲しいよねとか、例が表されているだけで、
悲しい嬉しいの色もそれぞれだろうし、
あぁ、難しい。
気づける人でありたいし、気づかず自分の幸せを大事にしたいとも思うし、
どんな心を持つことがいいとこか、わからない。
わたしはずっと同じ心を持たなくてもいいと思っています。
というより、どちらの心も持てるように、どちらの心も着せ替えられるような力を持っていることが、自分を守りながら、人と生きるために大切なのではないのかな、とそう思います。
とにかく、心地よく一緒に生きること(食事、睡眠、会話、お散歩、遊ぶ)ができる人がいることは奇跡なんだなぁと、改めて感じた朝でした。
なんか最初に出てきたさらりーまんに感謝の気持ちを持ってきました…
不思議すぎる…
いらいらしていたのに…
気づかせてくれてありがとう、ですね、
物は味方によって変わる。
これは、何でも応用できる、つながっていること。
沢山のメガネを持っていることは苦しいこともあるし疲れることもあるし、無駄に傷つくこともあるけど、感動することも多いし、人に心配りをすることも得意だと思います。まあこれも味方によって良さは違うんです…。
私はこの色んな人のメガネは宝物にしていきたいと思いました。
ˎˊ˗Thank you for readingˎˊ˗
lila
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