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わかりにくいから記憶に残る。

なんでこれ撮ったんだろう。

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たぶん、T2でフラッシュ使ったことあんまりないなーとふと思って、そのタイミングで撮った。
記憶の中ではそれくらい。

でも、たぶん10年後には意味が変わっている。
もし私が北海道にでも移住してたら、「京都で淡路島牛乳買ってた激務の晩秋ごろの生活の記録」という意味が、自然に生まれてくる。

写真を好きになったきっかけでもある川内倫子さんの作品の中にも、なんでこれ撮った?って思うものがある。
被写体そのものはもちろん、なんでそんな構図?とか、なんでその瞬間?みたいな。
時系列も季節も関係なく、場所も特定していない。
なんでそれを選んだんだろう?
私が感じるその理由や心境は、写真集を開くたびに変わってくる。
すぐ見えるときもあれば、何年も経って急に見えてくることもある。そしてまた見えなくなったりもする。
わからないから記憶に残り、何度も見返す。
そんなふうに写真の意味が変わっていくのが、おもしろい。そんな写真が好き。

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それは自分の写真にも当てはまり、撮った時の心境が薄れる過去の写真が、いろんな見え方をしてくるのが楽しい。
自分の意思で撮ったのに、年月が経つたび、その写真の持つ意味がどんどん変わっていく。
最近の写真でもそういう撮り方ができればいいなあと思っている。

本当は無意識にシャッターを切りたい、という石川直樹さんの言葉が少し後押しをしてくれている。
すぐにわからなくても記憶から消えない写真を撮ることが、永遠の目標なのかもなあ。

Tumblr → i k i n u k i

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