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宗教って思ったより日常に溶け込んでいる

こんにちは。前回公開した記事では大好きなさくらももこ先生のエッセイを意識して、ですます口調を取ってみたのですが、なんだかしっくりせず・・・いつものように書いていこうと思います。

自己紹介でも話していますが、わたしはロック音楽が好きです。アニメや漫画も好きだけれど、それは魂の上に乗っかっているまでで、骨の髄まで染み込んでいるのはパンク、グランジ、メタル、エモ、ハードコア、V系、オルタナ!辛い時はいつも音楽を聞いて心を癒しています。

コロナでもう何ヶ月もライブに行けない日が続き、モッシュしたい!サーフしたい!ヘドバンしたい!生の演奏を聴きたーい!という気持ちが募り、Youtubeで手当たり次第聞いています。昔の曲ばかりですが・・・。

Avenged SevenfoldのDear Godという名曲をご紹介します。もともとはツアーで離れている時に家族と一緒にいられない気持ちを歌ったものだったのが、コロナ禍の今、大事な人に会えなくて辛い気持ちに寄り添ってくれるということで再度注目されています。ちなみにこの曲調はCountry Rockという珍しいジャンルで、何とも言えないダサさ(褒めてる)とかっこよさの調和が良いです。

ここで気づいた方もいると思いますが、そう、これって神様に「自分が一緒に居れない時に家族を頼む」っていう歌詞なんですよね。

欧米ではこうやって「神」や「天使」が題材にでてくる歌はとても多く、クリスチャン・バンドなるものもいくつも存在します。メタル界隈では悪魔崇拝が多いイメージですが、実はそんなことないです。いるにはいるけど。(いるんかい)カトリックの友達の付き添いでUnderoath(意訳:神の誓いの元に)というクリスチャン・メタルバンドのライブに行った時は、聖歌隊のようなものを想像していたのか、子供と一緒に来ていた上品そうなマダムが過激な演奏に度肝を抜かれているのを見たことがあります。(可哀想)

小学生の頃、知り合いに日本語の少女小説を貸してもらったことがあります。内容はアメリカから来た転校生と幼馴染で主人公を取り合う、というよくある展開だったのですが、そこで衝撃的だったのがアメリカ人の転校生のセリフが「Oh, my god! (神様、私をお助けください!)」となっていたことです。英語圏に住んだことがある人ならわかると思うのですが、Oh my godは例えるなら「まじで」と同じくらい広い意味で使われるスラングです。文脈にもよるかもしれませんが、Oh god やOh lordをそのまま「神様、お助けください」という意味で使うのはシェイクスピアくらいなのでは・・・日本人って私たちのことこんな風に思っているのかな・・・とびっくりしたのですが、それは置いといて、実際Oh my godはクリスチャンだろうが仏教徒だろうが、私のように無宗教だろうが、関係なく誰でも使います。そのほかに”For god's sake”、”For heaven's sake”も「まったくもう!」のような意味合いでよく使います。海外ドラマで聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

それは言葉というものは時代が進むにつれ新しい解釈を付け加えられ文脈が進化していくという性質によるものですが、Oh my god!と嘆いている時、自分の中で存在しないかもしれない「なにか」に祈るような気持ちがあることも確かなのです。

そして、日本に来て気づいたのですが、私は慈善活動は当たり前、弱きものは助け強きものは分け与えるべき、悪いことをすればカルマがある、という考えが根本にあり、これはカナダで受けた教育によるものなのですが、これって元を辿ればキリスト教の考えなんですよね。

だけどこれは「高校を卒業するためには100時間以上の奉仕活動(もしくはアルバイト経験)が必須」「履歴書にボランティア経験があればあるほど良い」という社会の特徴にもあらわれており、母が高速で車がエンストして困っていた時に何人もの老若男女が次々と車から降りて助けを差し出してくれた時に言った「宗教ってあまり好きじゃないけど、カナダ人のああいう他人に優しくできるところはキリスト教の国だからなのかしら」を思い出します。

日本人の多くが無宗教で熱心に信仰活動を行わないのにも関わらずお正月に初詣や厄払いに行くのと同じように、カナダ人にとってのキリスト教というものは思っているよりもずっと深く文化に根づいているのかもしれません。

私は父親がカルト宗教にのめり込んで何度目かわからない家庭崩壊の危機を迎えたり熱心なキリスト教の友人に強引に聖書を勧められた経験が直接の原因ではないのですが、面倒なので聞かれた時にはAtheist(無宗教)と名乗っているのですが(FacebookでのプロフィールにはFlying Spaghetti Monsterと書いてあります)、神様がいるかいないかを抜きにしても科学では決して説明しきれない、何かしら不思議な存在がいるといいなあ、と思っています。妖怪や付喪神のお話が大好きなので。(多分違う)

また、御朱印集めを数年前からしており、いつもお祈りをしてから御朱印をいただくのですが、帰り道はとても心強く、誰かに守られているような気持ちになります。そして海外旅行にいくとムスクや教会に必ず立ち寄ります。戦争や食料難などの困難の際、昔この地に住んでいた人たちはどんな思いで神様に祈りを捧げたんだろう、と考えると胸がいっぱいになります。ヨーロッパのルネサンスやロココ時代の美しい調度品や美術品も、キリスト教を広めるために当時政治を取り行っていた教会が作らせたものが多く、美術史を語る上では避けて通れないものです。文化的な生活を送る私たち現代人にも、やはり宗教の影響って気づいたら近くにあるものなんだなあ、と改めて思います。

そしてそれって、悪いことじゃないな、と私は思うのです。

おまけにもう一つ、私が中学生の時に流行ったSystem of a Down のChop Sueyという曲です。聖書にでてくる言葉がそのまま使われていたり、感傷的な歌詞とヴォーカルの声の伸びが美しく、ロックバンドらしく死んだあとでさえ評価を避けられない社会への不満を訴える曲です。一見変わった曲名は最初に考えていたタイトル、「Suicide(自殺)」がレコード会社の反対により「Chopped(切断)」された、という意味の言葉遊びからきているようです。

(ちなみにChop Sueyは欧米の中国風の野菜炒めのことで、大体どこの中華レストランにもあります。Stir-fryとの違いはわかりません。)

かっこいい〜!

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